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12.8 石川県護国神社でのある学生の自決について

 去る12月8日、石川県護国神社で一人の男性が自決した。情報によると、金沢大学4年生の学生であった。彼はこともあろうに、最後の枢密院議長であった清水澄博士の石碑の前で自ら命を絶っている。清水澄博士とは占領憲法が公布されたことに強く抗議し、昭和22年9月25日「幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス」と書かれた遺書を遺し、熱海の錦ヶ浦から身を投じ、帝国憲法のために殉じた国士であった。占領憲法は帝国憲法の改正により発布されたのだが、清水澄博士は遺書の中で「新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ」とも述べていることから、昭和天皇が戦争責任者として退位させられ、のちに我が国が共和制国家になる危険性に強く抗議したのであった。

今回の学生の自決はもちろん清水澄博士を知ったうえでの行為であろう。博士の石碑の前で、日の丸をビニールに包んだうえで準備し、腹と首にナイフを突き立てたとされることから、古式に則った切腹を試みたものと推測される。この状況からして、彼はやはり清水澄博士と同様に国の行く末を憂いたがゆえに自決を決行したと思われる。日の丸をビニールに包んでいたのは血で汚したくないとの想いからなのだろうか…。今のところ、この件に関する情報は乏しいが、今の日本の世相とこの学生の行為とを照らし合わせ、彼の気持ちを汲んでみたい。

一般的に、自殺にはいくつもの類例があると言われている。病を苦にした自殺、生活苦からの自殺、将来を悲観しての自殺…であるが、いずれも、死を選択し実行に移すまでには多くの葛藤があり、それを克服しようともがき苦しむに違いない。そして、最終的に死の恐怖よりも生の恐怖が優勢となり、命を絶つことになるのだろう。一方、自決は自殺と同等に扱うことはできない。自決は生の恐怖が死の恐怖を上回るからではなく、何かを強く訴えようとする意志が生への執着を超克する場合に行われる。例えば、三島由紀夫だ。彼の有名な檄文から一部を引用した。


「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。・・・日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

三島は日本の戦後空間を「経済的繁栄」、「そのばしのぎと偽善」、「魂の空白状態」、「自己の保身」、「権力欲」などの言葉で言い表し、「これ(=日本の歴史と伝統)を骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」との言説を遺していることから、現在日本の諸悪の根源を占領憲法に見出していることは明らかである。つまり、三島は戦後空間が虚構であることをいち早く見抜き、日本民族が悠久の歴史において築き上げた伝統文化があたかも存在しないかのごとく振舞うことを許す占領憲法の打倒を訴えるために、命を絶ったのである。ここには、日本の歴史伝統と自らの命を天秤にかけ、悠久の歴史伝統の重みを認識した者の姿が厳然と存在する。三島にとってみれば、一個人の命など伝統と比べれば軽いものに過ぎなかったのである。

では、今回自決した若干22歳の青年の場合はどうであったのだろうか。三島が自決を遂げた昭和45年当時はまだ戦前生まれの日本人が大半であった。言うなれば、まだ本当の日本の姿を知っている人であふれかえっていたのである。そのような空間にあって、三島は文学者ならではの鋭い感性により、経済的繁栄の欺瞞を直観した先駆者であったと言える。一方、今回の学生は三島の死からすでに40年以上の歳月が流れ、経済的繁栄はもはや過去のものになりつつあり、その虚構の化けの皮が剥がれつつある時代を生きてきたといっても差支えないであろう。学生はこの時代を生き何を感じたのであろうか。三島由紀夫や清水澄博士と同じく、憂国の情からの決起だったのだろうか。

三島由紀夫と清水博士は日本の行く末を憂い正しい方向を日本人に標すべくして自決したと私は考える。しかし、三島の死から40年を経た今日、この学生は、日本が誤った道を歩んできたことの末路を自覚し国を憂い自決したのではないだろうかと推測する。我々は清水博士や三島が訴えたことの何一つも解決できぬまま、これだけの歳月を過ごしてしまった。私はこの学生から今の日本人に対する義憤と同時に絶望や諦観までも伝わってくるような思いがする。現在日本は民主主義思想を絶対視する左傾化した世代が社会の中枢を圧倒的に支配しており、個人の自由や平等思想、またはグローバル化といった標語の下、祖先から受け継がれてきた道徳をことごとく瓦解させ、和を尊ぶこの国にあって無意味な競争原理を導入し、優しかった秩序の崩壊を加速させている。そして、この被害を最も被っているのが今の学生たちなのである。大半の学生はこの事実を認識できていないが、一部の鋭い感覚を有する学生はもうすでに気付いている。自分たちは、ゆとり教育により本来鍛えられるべきであった人としての能力を欠いたまま大人になり、社会や学校からは人間としてではなく、消費者あるいは客として育てられ、そして、結果的に徹底的に骨抜きにされてしまったという事実を認識しているのである。学生にこの責任はない。にもかかわらず、このような教育を要望し圧力をかけた大企業は、学生が社会に対応できないと見るや否や、外国人留学生の獲得に積極的に乗り出している。今の学生の多くは目が死んでいる。彼らの心の奥底には社会への不信感が拭えないのだろう。その一方で、まったく社会の事情に無関心で日々遊びほうけ、刹那的に生きる学生もたくさんいる。

あくまでも推測にすぎないが、今回自決した学生はこのような社会の末路に一石を投じるつもりだったのではないだろうか。そして、その行動の根拠を帝国憲法の復活に求め、清水澄博士の前で自決したのではないだろうか。清水澄博士や三島由紀夫の死は将来の日本を憂いながらも何らかの希望を後世に託す旨がひしひしと感じられる。一方、今回の学生には後世へ希望を託す意志もあったであろうが、同時に時代の閉塞感に苛まれた苦悩もあったのではないだろうか。時代と照らし合わせてみると、どうしてもこのように感じられる。すべては推測である。ぜひ、この学生の書いたとされる檄文を手にしたい。

私は護国活動をする人間として、この学生の決断と勇気には敬意を表したい。しかし、あまりにも悲しすぎる。若干22歳で何が分かるというのか。訴える方法は何も死だけではないはずだ。生きて自分の主張をしてもらいたかった。

 
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