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青少年のための祭祀の道 -第三十三回 教育と憲法-

祭祀の道 12月分がUPされました。
読み方を今の仮名遣いに変えて、わかりにくそうな文字にかなを付けております。
どうぞご覧ください。


つねまどふ こゝろをいさめ たまひける をしへはぐゝむ みことのりかな
(常惑ふ 心を勇め 給ひける 教へ育む 敕語(みことのり)かな)
てをつかね ひざをかがめて うけいれし あだのてしたを うちてしやめぬ
(手を束ね 膝を屈めて 受け入れし 仇の手下を 討ちてし止めぬ)


 国家を経綸(けいりん)(国家の秩序を糺すこと)し、国運の衰退を防いで国家を再生させるために必要なものは、やはり教育と憲法です。国家の基軸は教育と憲法であるということです。

 このことに関して、第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツとを比較し、「ドイツは、教育と憲法について自主性を保ったが、日本はそうではなかった。」として、日本とドイツとの占領政策の違いを強調する人が居ますが、厳密に言えば、このような認識は正確なものではありません。

 まず、憲法についてですが、確かに日本では「恒久法(こうきゅうほう)」の形式で「日本国憲法」が制定されたのに対し、ドイツでは「臨時法(限時法)」の形式で、憲法ではない、いわゆる「ボン基本法」を定めたという意味では、憲法についての向き合い方が日本とドイツでは全く異なっていたと言えます。

 また、日本とドイツとの違いについて、ドイツは、東西ドイツに分断した分断国家なので、統一ドイツが実現したときに憲法を制定するという意図であったことを理由に加える人も居ます。しかし、これは明らかに誤っています。日本も分断国家だったのです。全千島と南樺太の北方領土、沖縄、小笠原諸島などの地域と内地とが分断されて、内地だけで占領憲法が制定されたとされるのですから、日本の占領憲法はボン基本法と同様に、分断国家における「東京基本占領法規(東京講和条約)」といふべきものだったのです。

 次に、教育についてですが、これは、日本とドイツとで大きくその様相を異にします。
 ドイツでも、日本と同様に、占領政策として教育に対する連合国による徹底した干渉がありました。しかし、ドイツの場合、それは、「ナチズムの否定」という限られた方向へ集中的に向けられたものであって、決して「ドイツ自体の否定」の方向ではありませんでした。あくまでも「反ナチズム教育」を徹底したのであって、「ナチス時代」のみを否定した限定的なものです。むしろ、反ナチズム的な本来のドイツ民族教育は容認されてきたのです。

 これに対し、日本の占領政策では、「日本自体の否定」という、我が国のこれまでの歴史、文化、伝統の全般のみならず、その中枢部分である「家族」と「祭祀」を全面的に否定するという露骨な教育干渉でした。昭和期における軍部独走に対する批判に藉口(しゃこう)(言い訳すること)して、日本の悠久な歴史全体を否定したという意味では、連合国の教育干渉は全面的であり徹底的なものでした。

 そもそも、ゲルマン社会では、この連載で前にも触れましたが、ケルト人社会と同様に、霊魂不滅(れいこんふめつ)、生死輪廻(せいしりんね)を信じ、祖先崇拝、英雄崇拝の祭祀を行い、土地所有権は血族単位の「家産制(かさんせい)」であり、自給自足的村落を形成して、自然崇拝と森の信仰(神は森の中に居る)を持っていました。
 しかし、森には悪魔が住むとして森を潰し続けたキリスト教に征服されてしまったケルト人やゲルマン人の社会は、その後、著しいローマ化が進み、一神教を受け入れて祭祀を失ひ、個人所有を受け入れて家産制度がなくなったのです。そして、絶対神(God)に個人個人が向き合うだけで、家族単位で祖先には向き合うことのない宗教により、家族のカミ(上、神)や祖先祭祀、自然祭祀などは完全に否定されてしまいました。

 このようなゲルマン人国家ドイツの歴史において、第一次世界大戦後のベルサイユ体制の桎梏から解放しようとするゲルマン社会の反動の一端がナチズムを生んだのです。そして、それを生んだ土壌となったワイマール憲法は、当時最も先鋭的な社会主義憲法であり、もちろん「国民主権」に基づく憲法でした。国民主権を基軸とする意味においては、連合国と共通した思想であり、ワイマール憲法には違和感がなかったのです。むしろ、ワイマール憲法は、国民主権思想においても、最も最先端を進む画期的な憲法だったのです。

 ただ、連合国としては、ナチズムが再び台頭してくることを防ぐことだけが主眼になりますので、ナチズムのみを積極的に否定する「闘争的民主主義」を掲げれば、連合国がドイツの憲法に干渉する必要がなかつたのです。
 つまり、「闘争的民主主義」とは、「民主主義から生まれ民主主義を否定した」ナチズムの思想以外の思想ならば、すべて民主主義を保証するといふものであり、批判はナチズムだけに向けられているのであって、「奇胎のナチズム時代」だけを否定すれば、連合国と対立することはなかったのです。

 我が国でも、安保闘争のときに使はれたスローガンとして、「民主か、独裁か」という二者択一を迫った軽薄なものがありました。しかし、民主と独裁とは両立するのです。民主から独裁が生まれるのであり、両者は対立するものではないのです。それを証明したのがナチズムだったのです。カール・シュミットの独裁論では、委任的独裁や主権的独裁はすべて民主主義から生まれることを説いています。そのシュミットの理論からナチズムは生まれ、正当性を与えたのです。国民主権による民主主義というのは、独裁を生む政治システムであることが証明されたのです。

 ところが、愚かな一般大衆を誤魔化すには、「民主か、独裁か」というウソが今でも通用するのです。ですから、闘争的民主主義という、特定思想のみを排除した似非民主主義で大衆を騙してドイツを再生させようとしたのが連合国の思惑だったのです。というよりも、連合国でも国民主権ですから、同じ悩みを抱えているわけで、ナチズムをスケープゴートにすれば、国民主権の民主主義による弊害の欺瞞を隠蔽できると考えたからです。

 ところで、連合国と同様に、ドイツもキリスト教に支配されているために、はじめから家族と祭祀を否定しています。ですから国民主権思想の脅威となる家族と祭祀の復活は阻止されてゐるので、専ら反ナチズムの確立が占領政策の目的のすべてだったということです。

 これに対し、日本の占領政策は、ドイツのような限定的なものではなく、全面的な「反日」政策でした。日本でもすでに家産制から私有財産制(個産制)へと変質していましたが、それでも「家族」と「祭祀」は長く護り続けてきたのです。これを全否定するために、連合国は「教育」と「憲法」を徹底的に改変させる必要がありました。いわば、日本において、「家族」と「祭祀」を否定するキリスト教思想を定着させること、実質的にキリスト教を国教にするための占領政策だったということです。

 そして、売国奴となつたGHQの傀儡となった政治家と官僚を総動員した占領政策翼賛会体制によって、キリスト教思想の亜流思想である国民主権主義思想で貫かれた占領憲法を制定し、教育勅語の失効・排除の国会決議まで行いました。
 その後も、教職員は聖職であることを放棄して反日の尖兵としての労働者となり、政治家や官僚、それに学者、業界、マスコミも、GHQの指示によって占領憲法を洗脳するために官民挙げての全国組織である「憲法普及会」が結成され、占領憲法が正しく立派な憲法であるとの洗脳運動を徹底させることによって、我が国の教育と憲法の正しい理念はズタズタにされました。

 昭和二十一年三月三日、文部省は省令をもって国民学校令施行規則及び青年学校規程等の一部を停止しました。これらの規則等では修身が教育勅語の趣旨に基いて行われるべきことを定めた部分がありましたがこれを停止したのです。
 そして、同二十一年十月九日、文部省令において国民学校令施行規則の一部が改正され、式日の行事中、君が代の合唱、御眞影奉拝、教育勅語奉読に関する規定が削除されました。この行政措置により教育勅語は教育の指導原理としての特殊の効力を失効したとし、昭和二十一年十一月三日に占領憲法が公布され、これに基づいて翌二十二年三月に教育基本法が制定せられることになりました。
 この法律は、その前文において、これが占領憲法の精神に則り教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するためのものであることを宣言し、教育の基本原理がこれに移ったとしたのです。
 また学校教育法が制定され、同時に、国民学校令以下十六の勅令及び法律が廃止されました。このことに引き続いて、昭和二十三年六月十九日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」がなされ、教育勅語(教育ニ関スル勅語)、軍人に賜わりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜わりたる勅語などを排除・失効させたことになっています。

 これら占領憲法制定とその後の一連の運動は、国民主権という人でなしの思想によって支配されてきたのです。そして、この傲慢な思想によって占領憲法を制定しその施行によって国民を主人(上司)、天皇をその家来(部下)とする国民主権になったので、家来(部下)の出した勅令は主人(上司)である国民が選んだ国権の最高機関である衆参両議院が教育勅語を排除・失効させたという論理によって、全会一致で行ったことになります。

 これは、米国国防総省の強い意向と極東委員会の決定を踏まえたGHQ民政局(GS)の指令に基づくものであり、仇国に忠誠を尽くして迎合した保身の政治家と官僚など率先して行った結果です。この者共は明らかに売国奴であり最も卑しむべき存在です。その国賊共の政治家と官僚などの直系に属するものが、今の政治家と官僚、学者、業界人、マスコミであることを忘れてはなりません。仇の手下は必ずいつの日か膺懲(ちょうちょう)する必要があるのです。これが祖国防衛権の行使です。

 このように、完膚無きまでに教育と憲法が叩きのめされたのであれば普通の国家ならば既に滅んでいたはずです。しかし我が国は、政治家・官僚などに「政策」があってもなかっても、臣民にはその失政に立ち向かう「対策」がある国家です。臣民には、政治家や官僚などよりも格段に優れている高い民度があります。ですから臣民は民族国家の本能、つまり國體に目覚めて家族と祭祀の原点に回帰しようという個々の運動が広く展開されているのです。
 家族と祭祀の完全復活は、国家の再生の第一歩です。これによって、戦後教育と占領憲法から脱却し、我が国は世界にさきがけて自立再生社会を実現させることができるのです。

 論語に、「有教無類」ということが説かれてゐます。これは、「教へ有りて類無し」、つまり、人は教育によって作られるのであり、人の生まれによて左右されるものではないことを説いています。普通は、これを貴賤の隔てに関係なく人は教育によって作られると解釈しています。決して間違いではありませんが、昔は富の多寡(たか)や貴賤の違いとは無関係に、すべての人々が祭祀の心を育み、その実践をしてきたからこそ、均しく教育を受けるだけの素地があったためにそのように云えるのです。
 しかし、今は、祭祀の心と実践が、富者ほど蔑ろにされています。全くこの心がない人も居ます。祭祀を否定することに生き甲斐を感じている人も居ます。概ね、一神教的な宗教者です。
 ですから、これからは、祭祀を蔑ろにするのが賤しい人であり、祭祀の心を持ちそれを実践する人を貴い人と呼ぶべきです。これこそが現代における貴賤の区別です。ご皇室が最も貴い宗家である所以はここにあります。
 ですから、私たちは、祭祀を実践する貴い人にならなければ、ご皇室をお護りすることはできません。貴い人となって祭祀の実践をし祭祀の心がなくその実践もできないでいる賤しい人に祭祀の心を取り戻させその実践へと導くことによってすべての人々を皇国臣民の家族となる貴き人とすることに努力せねばなりません。これが社会教育とし広く実現すれば、憲法の心もまた再生できるのです。
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