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「鎖国」は悪いことか?

 TPPに代表されるように、日本を侵食しようとする外国の攻勢が強まっている。これを推進する識者はグローバル経済に乗り遅れてはならないという主張を展開するが、果たして、グローバル経済とはそれほどすばらしいものであろうか。もちろん、これを否定し尽くすことは不可能である。しかし、現在の我が国の労働市場の空洞化もグローバル化に起因することから、これが著しい欠陥を抱えたものであることには間違いない。また、TPPへの参加が予想される国の中では日本と米国が圧倒的な経済規模を有することから、米国主導の下で様々な事柄が決定され、日本はそれに従属するという構図が考えられる。やはり、リーマン・ショック以降、米国は、失業率の高さを改善するために、日本に「第二の開国」を迫ることで参入しやすい市場を確保し、一気になだれ込もうと画策しているのだろう。1985年のプラザ合意以降の円高推進策が実は日本に経済危機をもたらす経済戦争の罠であったように、TPPも罠であると疑わざるを得ない。
 
 外国の攻勢は何も今に始まったことではない。白人による植民地主義の歴史は15世紀にはすでに始まっており、現在ではインカを滅ぼしたような虐殺による支配はないものの、未だ植民地主義という思想は白人から消え去ったとは断言できない。これに戦いを挑んでは確実に呑み込まれることは大東亜戦争の結果を見ればわかる。対抗手段として、島国である我が国の地理的条件を生かした「経済的自立」しか方法はない。つまり、「鎖国」である。これまで「鎖国」は日本史における負の遺産であるかのように捉えられてきた。だが、結果として、この政策は、植民地主義の餌食とならずに独立を貫いた主要因であり、もっと評価されてしかるべきである。以下、南出先生の文章を引用させていただいた。

 ≪・・・国家の「経済的自立」とは、国家が生存する上で必要最小限度の基幹物資の自給自足が実現されることを言うのであり、そのことが政治的自立と相俟って真の独立を意味することになる。しかし、政治的自立をしている国家がそのことを自覚し、経済的自立のために自立再生志向を国是として真の独立を目指そうとしても、現在の国際分業と相互依存のグローバル主義国際体制から容易に脱却することはできない。それは、「一国独立主義」であり、自由貿易体制への挑戦である。それでも、この世界の趨勢に抗して、自国の自給自足体制を確立する努力を続けて行こうとすると、その課程において、この動きを阻止しようとするグローバル主義に毒された国家群の反発その他の事情によって、自国において現時点で必要な基幹物資の供給を確保しえない不測の事態に遭遇することはありうる。つまり、段階的に基幹物資の輸入を減少させて行く自立再生志向の国家の基本方針を妨害しその方針を破綻させようとして、グローバル主義国家群が自立再生志向の国家に対する基幹物資の輸出を突然に全面禁止する措置をとりうる危険性がある。

 假に、そのような事態に至った場合、自立再生志向の国家としては、真の独立と生存を維持しようとして、他国から基幹物資を軍事的に收奪することも、国家本能である自衛権の発動たる「自衞戦争」として認められることになる。大東亞戦争は、まさにこのような自存自衞のための戦争であった。これは大東亞共栄圈の経済的自立(ブロック経済)であったが、その究極の理念として一国独立主義を見極めていたことは確かである。
 
 それゆえ、現在の国際体制は、今もなお、大東亞戦争と同じような自給自足体制の確立を目的とした自衞戦争の再発を防止するためのものであり、そのような自衞戦争の再発を恐れるあまり、自由貿易と賭博経済によるグローバル化を促進しようとするが、それが却って世界と地球を危機に陷れることになるのである。
 
 そもそも、江戸期までの我が国は、鎖国政策により自給自足経済を確立させ、産業技術、文学、芸術など多方面に創意工夫が施された独自文化を開花させてきた経緯がある。そもそも、「鎖国」というネガティブな言葉は江戸時代には用いられていない。これは開国を正当化するためのデマゴギーとして用いられたものである。江戸期の我が国は、その民度において明治以降よりも高い側面があり、しかも、自給自足が実現できていた国家であって、それによって平和を維持してきたのである。これは、「鎖国」というよりも、自給自足体制を崩壞させない限度において特定国との貿易を許容するという制限貿易制度であった。むしろ、長崎出島にあるオランダ商館付の医師として来日したケンペルやツンベルグは、このいわゆる「鎖国」を高く評価していたのである。
しかし、欧米列強が東亞各国に開国を強く迫った結果、その後は世界の貿易経済に飮みこまれ、次第に独自の文化を崩壞させて行った。このことは、南北問題における窮乏国家の伝統が破壊されて行くことと軌を一にするものである。開国して貿易することは活氣のある進歩であるからこれを是とする觀点からは、鎖国は沈滯と怠惰なものであるとの否定的な評価でしかない。しかし、「開国」か「鎖国」かという対外経済交流の現象面の選擇に意義があるのではなく、「依存経済」か「自立経済」かという経済体制の本質面の選択が最も重要な国家方針の試金石であったのである。しかし、そのころの我が国を取り卷く情勢は、生やさしいものではなく、与えられた選択肢は、圧倒的な欧米列強の軍事力を前にして、「独立」か「従属」かの二者択一状況の中での「開国」と「鎖国」という相剋であった。

 このような歴史から学べば、自給自足体制を確立することが国家と世界の安定と安全を実現することであり、それは、全世界の各地域の多樣な伝統と文化の再生と復権を目的とする世界思想であって、懷古趣味や復古主義としての単なる「新鎖国主義」ではないことが解る。これは、極度の民族主義や国家主義の実現のための「手段や目的としての鎖国」ではなく、「結果としての鎖国」を意味している。「貿易」と「鎖国」とは対立した概念ではなく、手段と目的の関係として調整統合しうる概念なのである。つまり、これからは、「将來において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を継続する。」という方向について世界的な合意がされるべきである。本を正せば、グローバル主義も、グローバル化が目的ではなく、手段であったはずである。それは、世界の平和と繁栄を実現することを目的とし、その手段としての自由貿易によるグローバル化であったはずである。それゆえ、自由貿易によるグローバル化の手段に勝るとも劣らない他の手段があれば、それぞれの功罪と長短を吟味して、より良いものを選択することに異議があるはずはない。≫

南出喜久治著  『まほらまと』
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