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占領憲法真理教

私は最近保守派の政治家や言論人に対してメールや電話で憲法に関する見解を問うている。これまで、約40名にアプローチしたが、回答を得られたのはわずか4名であった。一人は実は護憲派だったのだが、残りの3人は改憲派であり、「無効論は知っているがスピーディーな改正の方が良い」、「現行憲法は改正が必要」、「9条の改正が必要」という回答内容であった。回答を下さった方には心から感謝を申し上げたい。だが、国の根幹にかかわる憲法について質問を受けたにもかかわらず、これに答えようとしない政治家の姿勢には心底呆れた。また、同時に、この回答率の低さから、無効論を意図的に黙殺しようとする箝口令のようなものが敷かれているのではないかと勘繰りたくもなった。というのも、無効論を締め出す動きは今に始まったものではなく、占領憲法が成立して10年後にはすでに始まっていたからである。今もこの路線にあることは容易に推測できる。昭和三十一年に占領憲法を審議する機関「憲法調査会」が設置されたのだが、その委員の構成には偏りがあったのだ。以下、南出先生の著書から引用させていただいた。

≪我が国は、独立後の昭和三十一年に『憲法調査会法』を制定し、これに基づいて、憲法調査会が設置された。これは、内閣に設置された審議機関であり、国会議員三十名、学識経験者二十名の計五十名以内の委員で構成され、「日本国憲法に検討を加え、関係諸問題を調査審議し、その結果を内閣及び内閣を通じて国会に報告する。」(同法第二条)というものであった。
 日本社会党は、これが憲法改正の布石となるとの懸念を表明して参加を拒否したこともあって、委員の大半は似非改憲論者で占められた。
 そして、昭和三十九年七月三日、なんと八年余の歳月をかけて、本文約二百頁、付属書約四千三百頁、総字数約百万字にのぼる『憲法調査報告書』が完成した後、翌四十年に同法が廃止されて憲法調査会はその任務を終えた。ところが、この報告書には、致命的な欠陥と誤魔化しがあった。それは、当時、占領憲法の制定経過の事実と評価において、根強い「無効論」があったにもかかわらず、無効論の学者を委員から一切排除し、すべて有効論の学者のみをもって憲法調査会が構成され、しかも、有効論と無効論の両論を公正に併記し、それぞれ反論の機会を与えるという公平さを全く欠いた内容となっていたからである。
 この報告書では、当時の無効論をどのように扱ったかと言えば、僅か半頁、しかも実質には約百字で紹介されたに過ぎない。たった百字で無効論が語れるとでも言うのか。百万字の報告書のうちのたった百字。一万分の一である。そして、報告書曰わく「調査会においては憲法無効論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としている。無効論を唱える者を誰一人委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入った話である。
 そして、再び、平成十一年の国会法改正によって、占領憲法の多角的調査を行うことを名目として、翌十二年に衆参両議院に「憲法調査会」が設置されたが、ここにも無効論者の委員は存在しない。占領憲法が有効であることを大前提として議論がなされ、平成十七年四月に、衆議院では第九条と前文などについて改憲の必要性があるとし、参議院では改正の方向を示さない内容の最終報告書が議決されて終わった。
 このように、出生の秘密を隠し続けたまま占領憲法を作ったマッカーサーの掌の上で、護憲か改憲かという踊りを繰り広げて茶番の報告書を作成し、かくして「占領憲法真理教」という「国教」が誕生したのである。≫

真正護憲論を普及する活動を始めて、嬉しいことに、これまで着実に支持者は増え続けている。しかし、この活動を通じて分かってきたのが、占領憲法の壁の分厚さだ。もちろん、真正護憲論を知らない人はまだまだいると思う。しかし、知っている者が知らぬふりをしていることが分かってきた。それは黙殺、無視という形で表れているように思われる。その根源は今も「憲法調査会」の無効論排除の姿勢が政界、言論界に蔓延っているからではないだろうか。

南出喜久治著『とこしへのみよ』(近日発売!!) 

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