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真正護憲論 「講和条約説」②

「日本国憲法」はすでに憲法という名で罷り通っており、これをどうするのかという問題が生じている。「行為規範」と「評価規範」の問題である。これは「できてしまったものをどう評価するのか」ということである。簡単に説明すると、私生児の問題に近い。本来ならば、未婚のまま子供を作る行為は慎むべきであるが、できてしまった子供をどうするのかという問題である。行為はともかくとして、子供として認知し、評価しなくてはならない。「日本国憲法」も本来ならば無効であり、独立後すぐに無効宣言すべきであったが、今日まできてしまった。これをどうしようかという評価の問題なのである。下世話な例になってしまったが、この考え方が、「講和条約説」を理解するのに役立つように思われる。以下、南出先生の文章を引用した。

≪まず、第一に、占領憲法には、法の「妥当性」に対応する「転換適格性」がある点である。法律行為について「無效行為の転換」があるのと同樣に、規範についても「無效規範の転換」があることは前にも述べた。法律行為もまた、その法律效果によって特定の当事者の間で一定の命令や禁止の当為を発生させることからすれば、広く一般人に当為を発生させる法令等の規範と共通するからである。そして、これを一括して説明することにすると、まず、転換前の法律行為又は規範(A)と転換後の法律行為又は規範(B)との関係は、法律行為又は規範としての共通性を有するものの、両者は択一的関係にあることが前提要件となる。択一的関係とは、両立しない関係、つまり、AとBとは事項的に重なり合う部分がなく、BとAが相互に包含関係にあるということもない関係のことである。

具体的に言えばこうである。国内系の規範である憲法(A)は「単独行為」であり、国際系の規範である講和條約(B)は「契約」であることから、両者は法形式において異なるが、ともに規範定立行為であるという本質的性質において共通する。憲法(A)は、国内系の規範であり、国家機関内部の手続きが必要であるとしても、その国家が他国とは無関係に単独で形成する規範という意味では「単独行為(規範)」である。これに対して、講和條約(B)は、国際系の規範であり、戦争当事国の合意によって成立する「契約(規範)」であり、直接または間接に自国の国内系の規範として編入される性質も有している。しかし、ある規範が国内系の憲法(A)であると同時に国際系の講和條約(B)でもあるということはあり得ない。つまり、憲法(A)と講和條約(B)とは択一的関係にあるということである。≫(引用終わり)
 
 もう一つ例を挙げてみよう。もし死を覚悟して遺言(単独行為)を書くとする。しかし、様式に不備があり、遺言として認められないとしよう。これでも、遺産を相続する相手が確定しており虚偽がないとすると、これは遺言としては認められないが死因贈与(契約)という形で認められることがある。このとき、規範が別の形式に転換されて有効となったのである。この考え方が上記の憲法の問題にも類似する。つまり、「日本国憲法」は成立過程において無効であるのだが、これはすでに出来上がってしまい、罷り通ってもいる。では、どうしようか、ということである。そこで、「日本国憲法」は、帝国憲法の下位の序列の中で、規範が転換され講和条約ならば有効とされるのである。しかも、単独行為としては無効であるが講和条約という契約においては有効とする点において遺言の件と類似する。少しは参考になったでしょうか。ご意見をお待ちいたしております。

[参考資料]
南出喜久治著「國體護持総論第4巻」
≪動画≫    
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