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国民と臣民-一字違いの大きな違い-

引き続き、昨年冬の國體護持塾塾生みすまるでの南出喜久治先生のお話をUPいたします。
本日のお話は、外国人地方参政権に関するお話から、外国人の帰化要件について、日本国憲法で詠われている国民という言葉と大日本帝国憲法での臣民というわずか一文字違いの言葉の大きな違いについて、また、臣民という概念のない現在、日本の解体が進むだけであるというお話です。

学者って利権がらみで変節したりするからGHQが入ってたらGHQになびいたんじゃないですか、利害打算で別にどっちになびいたっていいじゃないですか。
機軸が全然違う人がいるんやね。外国人参政権反対にしても立ち位置が違う。共同戦線的には張れるのかもしれへんけれども、まずは基軸がどうなのか。ごまかされるのよ、ものすごく耳障りのいいこと言ってくれるし、こいつらわしらの仲間かなと思ったら、そうじゃないことがけっこう多い。
なるほどと思うようなことはいっぱい言うんやけど、結局のところ皇室を度外視した天皇陛下抜きの民族主義者みたいなのがが蔓延して、果たしてそれでいいのかということになるでしょ。だから基軸がぶれてる人は、現象的には保守風味なんだけど、まったく違う。

基本的には国民の概念と臣民の概念は違うのを理解しないとわからない。
皇統護持が要するに御皇室の血統というか要するに霊統、御霊(みたま)を受け継いでいくっていう。臣民も同じで血の繋がってということ。
例えば国籍法の改正にだってそうなんだよね。家族というものを基軸にしてやらないと、単に父親が日本人とか母親が日本人だったら単に血統主義だけで日本人だという。日本人の魂を受け継ぐっていうのは、簡単に言ったら、国家公務員、地方公務員がそうだけど、公務員を採用するときに、日本国憲法を遵守してって宣誓をするやないですか。それと同じように、臣民の誓詞はやっぱいると思う。臣民の誓詞とは、臣民であることを誓うと言うか、臣民であることを誓うの何や言うたら、祭祀とか國體護持なんかを基本的な素養として、持ってもらわないかんわけですよ。そういうものを持って初めて臣民となる。だから臣民と国民ってただ単に一字違いで大違いなんで、全然意味が違う。臣民っていうのは元々、臣というのは家臣の臣やから、公務員でしょ。民は非統治者やね。統治する人間と統治される人間とが一体化した概念が臣民概念なんですよ。
臣と民というのは、臣が上で、もちろん統治者があってそれを支える官僚や。
臣があって民があるんだから。統治する者と統治される者とが一体という精神的な部分が必要になってくるわけ、要するに裁判の傍論にしても傍論と本論と結論が違うんだから。今の占領憲法のあるいは最高裁の判決も、占領憲法前提の議論ばっかり横行してるでしょ。占領憲法ではダメなんやということを気付くきっかけにはなるけど、今の憲法のままではもう日本は解体していくことははっきりしてるからね。
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