スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

真正護憲論 「講和条約説」 ①

真正護憲論の特徴は、占領憲法を講和条約として生かしている点にあると思われます。これまでの無効論者は、占領憲法を「占領管理基本法」などと称して「法律もどき」のような扱いをしてきました。しかし、これでは精緻な法律議論には対応できず、無効論が広まらなかったことの一因とも思われます。もちろん、真正護憲論が占領憲法を講和条約の限度内において認めると言っても、そう簡単に理解していただけないのが実情です。「憲法が講和条約になる?なにそれ??」というように、多くの方にとってまだまだ不可思議なもののようです。憲法の門外漢である私もこの「講和条約説」をきちんと理解できているわけではありません。しかし、少しでも多くの方にこの「講和条約説」を知っていただきたく思い、また、私の勉強のためにも書く決意をいたしました。読者の皆様からのご教示をいただけたらありがたく存じます。以下、南出先生の文章を引用しました。

≪では、これから、帝国憲法第七十六条第一項の規範転換法理によって、占領憲法が講和条約へと転換して成立したとの真正護憲論(新無效論)による「講和条約説」の具体的な説明に入るが、この講和条約説は、これまでの占領憲法に関する效力論争において全く欠落していた観点を明らかにしたことに意義がある。ところが、これまで、これに対する理論上の検討や批判が全くなされないまま、角を矯めて牛を殺すが如き揶揄の遠吠えしかなされなかったのは、憲法学の怠慢と貧困さを物語るものといえる。
講和条約説の法的根拠や国内系と国際系との関係などについては、これまで述べたとおりであり、占領統治の実態と占領憲法の制定経緯を実質的に判断すれば、占領憲法が講和条約(東京条約、占領憲法条約)として位置づけられるということである。
しかし、決して、占領憲法の公文書に講和条約締結の際におけるGHQ全権としてのマッカーサーのサイン(署名)があるわけではない。占領憲法は、「潜りの講和条約」、「占領憲法の擬態」であるから、そんなものがあるはずもない。しかし、それでも、占領憲法の場合には、手続き形式面についても講和条約としての体裁があったと云えるのである。講和条約の締結は、法律の場合と異なり、帝国議会の協賛を必要としないので(第三十七条)、帝國議会でなされた審議は、帝国憲法の改正審議であるかの如く欺いた僞裝工作ということになるが、帝国憲法改正案の発議と占領憲法の公布という天皇の外形的行爲は、内閣の輔弼による講和大権の行使と見なすことができるからである。いずれにせよ、講和条約の締結のための固有の手続きと形式が履践されていないとしても、そのような形式具備の有無を根拠とすることなく、講和条約(東京条約、占領憲法条約)としての実質を備へいるということであり、それが帝国憲法第七十六条第一項によって講和条約(東京条約、占領憲法条約)と評価される所以なのである。つまり、占領憲法は、その実質及び形式(手続)の両面について、帝国憲法第七十六条第一項により講和条約(東京条約、占領憲法条約)として評価することができるのである。≫(引用終わり)


【解説】
・規範法理転換により占領憲法が講和条約になるとはどういうことでしょうか。

帝国憲法第76条第1項は「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」とあります。ここで注目していただきたいのは、「何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス」という部分です。この部分は、(法律などの)規範は形式名称によって階層構造上の序列が決まるのではなく、その内容に応じて序列が決まると言うことを意味しているのです。もう少し分かり易く言うと、法律や命令と言ったものは、それらの名称により、序列が決まるのではなく、内容によるということです。つまり、「違式の過誤」(本来あるべき法形式に違背すること)を想定しているのです。よって、規範法理転換とは、内容に沿わない名称を持っている法律はそれにふさわしい形式に転じて有効になることを意味しているのです。このことは、「講和条約」を「憲法」と誤って捉えている場合も含まれます。だから、我々は日本国「憲法」と呼んでいますが、たとえ、マッカーサーの講和条約締結のサインがなくとも、問題なく、その実質的内容から「講和条約」と主張できるのです。次回、火曜日も「講和条約説」について解説する予定です。

【参考資料】
南出喜久治著 『國體護持總論』第4章「國内系と國際系」
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。