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人間の本能-国家を守る本能は受継いだ命が皇統にたどりつくから生まれるのです

昨年冬の國體護持塾 塾生みすまるからのお話です。

人間の本能は家族や仲間や国家を守る本能です。それは、さかのぼれば、すめらみことにたどり着く、その誇りから、国家を守ろうという本能が生まれてくるのです。



人間の本能の序列でいくと、脳のほうが最優先に守ろうとする本能があって自己防衛本能でも序列があって最終的には腕は別に犠牲にするっていう意味やなくて。より優先順位の高い物の為に高くない物を犠牲にする。極限状況に置かれた場合は、手を切るぞ言われた時は手を引っ込めるわね。目は今、危害が無いから。
手が危なかったら手も作業できないから。そういう本能の序列がある。本能に序列があるのは、個体でも序列があるんだから、それは家族、そしてその対象がだんだん大きくなってそれは高い本能。
だから身を捨てて例えば子供、家族を守るというのは、絶対に理性主義では説明がつかない。命の大切さを教えるのが、今の個人主義、理性論でしょ。そこからは、自分の身を捨ててでも子供を守るとか、あるいは自分が盾に立って、例えば何か飛んできて、子供がいる、かばって後ろ向きになる。その自分は直撃を食らうかもしれないわけ。それでも子供を守って、逆に飛んできた危険の方向から少なくとも遠ざける。そんなもん。理屈で考えるのじゃなくて。その時に、飛んできたー!言われたら、自分は子供がいることを解っていながら、子供を差し置いて自分が逃げるか言うたら、親はしないでしょ。なんでか言ったら、家族の保存本能、種族保存本能のほうが個体の生命維持本能よりも高い本能だからそっちを選択しているわけ。優先順位がそっちが高いから、それが高くいったら、祖国愛、国家防衛本能へ繋がる。
理性主義からすると、一切説明つかないわけね。
もう一つ大きな問題は、なんでその本能の高い段階的序列があるか、自分が命をずっと受け継いできてるわけだから、祖先があって、例えば自分から26代遡ったご先祖の方が1億3千万超えるっていうことは、今の日本の人口超えるわけ。それだけのたくさんのご先祖があって、そのご先祖1つのみすまるで、ずっと繋がってる、連続してるわけ。間で一つでも切れていたと場合、自分は生まれてこないわけでしょ。それほどの奇跡的な状況の中で自分の存在がある。だから大事なんだ。ずっとご先祖を辿っていけば、御皇室に繋がるだろうという1つの誇り、それによって尊王思想というのが出てくるわけ。だから、宗教論では、個別のキリスト教であろうがイスラム教であろうが、あるいは仏教であろうが。全然関係の無い御本尊とか、絶対神を前提としたような宗教では、尊王の思想なんて無いんですよ。僕は、この憲法では國體は守れない。國體の中心は何かって言うと、今言った国家の本能で、国家の本能はご先祖さんに繋がる祭祀であり、皇統護持なのよね。國體護持の中の一番重要な部分は皇統護持なんだよ。皇統護持っていうのは、ずっといったらすめらみことに至るんだから。それを守ろうとする自然の思いだね。祭祀とか國體護持ということを思わずに全然別の宗教があって。キリスト教であれば絶対神があってそれによって自分が存在するわけでしょ。つまり救われるか否かていうのは神のみが知る部分でしょ。そうすると全部横並び、家族であろうが祖先であろうが関係ない、一個人として神と向き合うわけでしょ全ての宗教は。そうしたら家族が無いんですよ宗教の中には。家族を大事にせえってリップサービスでは言うんだけど、本当の宗教の核心の部分っちゅうのは家族は関係無い、家族を捨てても自分が良かったらいいのよ、そうでしょ。実際、キリスト教の場合祖先供養というのはしないからね。カトリックは認めるんだけどプロテスタントの場合は認めないから。ということは家族はバラバラ、一個人、神の前では全く平等ってね。
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