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日本本来の友達関係とは

南出先生は毎月「青少年のための連載講座【祭祀の道】編」を書いておられます。この記事で、私たちの国、日本の伝統的な価値観を今一度取り戻そうと、必死に努力されております。生活習慣、言葉、家族、暦など多岐にわたり、今では失われつつある本来の日本のこころを復興されているのです。

本日は人間関係についてです。友達と聞くと、遊び友達を思い浮かべるでしょうが、それですと、煩わしくなると会わなくなったりして、離れていくような意味合いが含まれるかも知れません。しかし、友達とは日本の伝統ではもっと重たい関係だったのです。南出先生は次のように述べています。


≪教育勅語には、「兄弟ニ友ニ」とあり、ここにも「友」が出てきます。この「友」は、同志、同根の友ですから、裏切られても裏切るな、といふ捨て身の強烈な信念を持つことを徳目として掲げてゐることになります。そして、「朋友相信シ」といふのは、「友」であることを誓つたならば、最後までその「信」を貫けといふことですから、兄弟と朋友とは、相似形、雛形なのです。

一度、「友」であることをお互ひに言明したのであれば、最後まで貫くこと、それが「信」であり、それには利害打算はありません。ですから、友になるといふのは、簡単なことではありません。やまとことばでは、「とも」ですから、志を共(とも)にすることなのです。友となれば死ぬまで縁が切れないとする覚悟がなければ「友」になることはできません。昨今では、「みんな友達」といふ軽薄な言葉を吐いて上辺だけの仲良し的な取り繕ひをする傾向がありますが、これは困つたものです。「友」の安売りです。真の友とは親友の意味ですから、そんな簡単に誰でも親友にはなれません。

友となるためには、お互ひに友であることを言明することが必要であり、誓(うけひ)することです。これは神事であり祭祀です。杯事もその一つです。神前で誓(うけひ)をして友になるのであり、義兄弟と同じ儀式が必要です。友の場合は、どちらが兄で弟といふ関係にはありません。いはば、五分の兄弟分です。これに対し、義兄弟といふのは、五厘下がり(五・五と四・五)、六分四分(四分六)、七分三分などの関係です。このやうな風習は今でも任侠などの世界に残つてゐますが、昔は、広く行はれてゐました。

真の友となると、決してお互ひに迷惑をかけないものであり、自分を犠牲にしてでも最後まで友を守り続けるものです。世俗的な人間関係を超越したものです。金銭の貸し借りがなされたり保証人になつてもらつたりすると、いつかその友情が損なはれることがあります。もし、友を助けるために金銭を渡すのであれば、返済を求めないことです。もし、逆の境遇となつていつか自分が困つたときは、そのときには助けてくれと言つて、友の負ひ目を和らげることしかありません。ましてや、友からの真摯な申出がないのに、命を預けてもらふことを軽々に要求するなどはできません。自分の都合だけで友を危険にさらしてはならないのです。≫


さあ、どうでしょうか。皆さんにはこのような友人がいるでしょうか。私は今の日本人の人間関係が薄情なのを以前から気にしていました。すべては自分の都合で付き合うか否かを決めているからでしょう。しかし、そうではなく、一旦契りを交わすとそれを最後まで貫くという精神も再興してもいいのではないでしょうか。絶対に、責任感の伴った人格がお互いに形成されると思います。

南出喜久治 「青少年のための連載講座【祭祀の道】編 朋友と祭祀」   
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