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子孫を殺す原発

保守とは一体何を守るのか?もちろんそれは国家です。では、誰のために国家を守るのか?もちろん、今生きている人のためでもありますが、本当の保守ならためらいなく、子孫のためだと答えるでしょう。つまり、保守思想とは現在ある国家だけでなく、時間軸の中で国家を捉えるのです。これが伝統的な日本人の考え方であり、言い換えれば、先祖から受け継いだものを子孫に残すことなのです。だとすれば、今生きる人が便利な生活を謳歌しようとして、原子力エネルギーに頼ることは許されるでしょうか。当然、否です。原子力は放射性廃棄物を未来永劫に残すものですし、いったん事故を起こせば、その土地は廃地となります。このような危険性を孕む原子力では子孫に対する責任を負うことができないのです。南出先生は原子力の廃絶を3.11大震災より以前から訴えています。その部分を引用しました。

≪次に、世界の「不安定化要因」の第二に挙げられるのは、核兵器の使用及び原子力発電所の事故などによる「放射能の汚染」の可能性である。
核兵器は、地球と世界を破壊する能力がある壊滅兵器であり、局地的な核戦争であっても、対流圈内の大気、海洋、河川、湖沼、土壤、地下水、動植物のみならず、成層圈にも核汚染が拡大するので、地球全体への影響は計り知れない。通常兵器であっても、原発(原子力発電所)に対する狙い撃ちの攻撃や原発に対する着弾によっても同じ事態が起こる。人体はおろか、家畜、食料、水、土壤など生態系全体に壊滅的な影響をもたらすのである。また、埋蔵燃料に代わる代替エネルギーとして開発された原発は、その事故に対する危険管理における技術的・制度的な限界がある。原発の安全性の基準は、基本的には物理化学法則に基づく部品性能と安全裝置の確率計算という工学理論的なもので設定されているに過ぎず、予測を超える大地震、火山活動、飛行機の墜落事故、隕石の墜落、内乱や戦争でのミサイル着弾や爆撃などによる破壞・損傷、内戦やゲリラ活動による破壊、原発管理者の故意又は過失の行為などの自然的要因や人為的要因などは全く予測の範囲外に置かれている。現に、経済産業省は、国内においても、イギリスのウィンズケール原発事故(昭和三十二年)、アメリカのスリー・マイル島原発事故(昭和五十四年)、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(昭和六十一年)などの程度の事故が起こりうる危険性があることを認めており、危険を承知の上で原発を開発していることになる。また、我が国においても、美浜原発二号機の蒸気発生器伝熱管損傷事故(平成三年)、高速増殖炉もんじゅ二次系ナトリウム漏洩事故(平成七年)などや、原発事故ではないがJCO臨界事故(平成十一年)などが起こつている。
原発事故による連鎖的被害は、チェルノブイリ原発事故の事例でも明らかであり、長期に亘って二次被害、三次被害へと次々に被害が拡大し、原爆・水爆などの核兵器による被害と勝るとも劣らないものであるから、少なくとも全世界の核兵器や大量破壊兵器の生産と保有が根絶されない限り、全世界の原発は一基たりとも認めるべきではない。また、核の平和利用と軍事利用とはプルトニウム・リサイクルという、いわば車の両輪の関係であって、研究者や支配者に対して、核の平和利用のみに限定させる有効な方法がない。地球の生存を、何時破棄されるか判らない法律や政治哲学、さらには権力と組織に無抵抗で従順な学者や識者の脆弱な良心なるものに地球の生命を委ねるわけにはいかない。いかなる理由があっても、地球や広範な地域の生態系への危険があるものの所持は、人類と地球の将来のために絶対に禁止するという原則を確立すべきである。非核三原則は、我が国だけでなく、世界の原則とすべきである。》

最近のニュースによれば、日本は使用済み核燃料棒をモンゴルに持っていき、あの広大な砂漠に廃棄する計画があることが明らかとなりました。実に罰当たりな行為です。貧しい国に危険物をひきとらせること。これは日本人の伝統的な感性、価値観からすれば、絶対にありえないことであり、許されざる行為です。このような行為のツケはまた何らかの形で我々に降りかかるのです。

南出喜久治著 『万葉一葉 放射能汚染』
  
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