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幼心地-5 おばあさんの話 

うけひのもり学園 おばあさんの話 の転記です。学ぶべき姿勢ですね。
子供用に書かれています。ひらがな、ふりがな付きはこちらから
うけひのもり学園

 今回は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『おばあさんのはなし』(Obahsann-no-Hanashi)と言う作品(「明治日本の面影」講談社学術文庫)について 述べてみます。
その書き出しには、こうあります。「今ではもう、いかなる民族も私が、語るような人物を生み出すことは 出来ないだろう。その人は私ども西洋世界の人間には、想像も出来ないほど厳格な躾によって育まれたその理想とは、他人の為だけに働き、他人の為だけを思い、他人の為だけに生きる人、限りない愛情と限りなく無私の心を持ち犠牲を厭わず返礼を求めないそんなひとだ。しかし、何世代に渡り幼い頃からあらゆる面で厳しく押さえ込む事によりついに、その有り得べからざる理想が現実の物となった。
蟻か蜂のようにエゴイズムを知らず、我がままとは一切無縁で、人を悪く思う事の出来ない人、生まれ育った社会を離れては生きて行けないほど善良な人、無論これほど出来た人は古来、稀有で女性一般の風となることは決して無かったが少なくとも昔の日本では、それがお手本に出来るくらい身近な存在であった。そして、女性というものが教育によりどれほど変わりえるかを見事に称していた。
こうした女子は声高に褒められる事もなく、静かに愛され皆に慕われた。
女性の鏡とは言っても、人様々である。私はその中で最も素朴な人、私の一番良く知る人の事を語りたい」

 皆さんには少し難しい内容ですが、日本に帰化した小泉八雲(ギリシャ生まれのイギリス人)が、この人、おばあさんが住んでいる近くにいた事に驚きと尊敬の気持ちを抑えることが出来なかった感動が 良く伝わって来ます。そして、この話は書き出しの文章に続いて、このおばあさんの性格や生活の様子がこと細かく詳しく書かれています。
痩せた小柄な女性。68歳、髪は烏の濡れ羽色。歯は至って丈夫。子供のように明るく澄んだ、鋭い目。字を読むにも針を持つにもメガネが要らない。足腰も達者。1里や2里なら平気で歩く。神社やお寺の祭礼に出かけて、孫たちのお土産を買って来る。肉や珍味の類は一切口にしない。米、果物、野菜以外の物は滅多に食べない。魚も口にしない。生き物を殺して食べるのは、殺生戒を犯すと堅く信じている。病気も滅多にかからない。暑さ寒さや部屋の中の隙間風を気にも留めない。1日中絶えず人の世話をする。冬でも夏でも朝一番に日の出と共に目を覚ます。そして、奉公人を起こし、子供達に着物を着せ、朝食の支度を指図しご先祖様へのお供え物のを按配する。手の掛かる子供が5人、家の中では夜、布団に入るまで片時も手を休めない。暇さえあれば針仕事。孫、息子、嫁、使用人の物まで自分で縫う。とくに仕立ての難しい物以外の裁縫の仕事は決して他所に出さない。
家庭で使う大抵の品は自分で作るか女中に指図して縫わせた物。腰を下ろして話し込んだりしない。そのような事をして仕事を怠けてはお天道様に申し訳ないと思っている。とても口数が少ない。孫相手だと子供言葉でおしゃべりをして、御伽噺も沢山する。普段は口よりも顔やほほえみで話をする。朗らかでおかしな笑顔は誰からも好かれている。武家の作法として、侍の家では婦女子が無用のおしゃべりを殊更に忌む事を心得ている。大人が相手だと必要な事意外は一切口にせず、時折、皆を喜ばせるような事を二言三言言うが、求められて助言するだけ。昼間から外出するのは子供の御守で、大抵は近くのお寺か神社に行く時か、祭礼などでお参りに行く時に限られる。晩方の外出を好み、家の品や孫の為に、珍しい玩具などを買い込んで来る。
実に多くの物事をその目で見、その耳で聞き、その頭で考えてきた。胸にしまっていた想像出来ない程の深い知恵をおばあさんは求められればいつでも愛する者達に分かち与える。決断の付かない時、苦難に見舞われた時、一家の者はまるで神のお告げを求めるかのように助言を求めるが、おばあさんは すぐには答えない。いつものように座り針を動かし考える。そして大分経った頃、「これこれこうするのが良かろう」という。家の者は、必ず言われた通りにする。その結果も必ずおばあさんの言った通りになる。それでみんなは、おばあさんがこう当てなさるのも神仏に近い御身の上だからなのだと考える。小さい頃からおばあさんを良く知る老人達はおばあさんが人を悪く言うのを聞いたことがない。
「でも、おばあさんは、とても辛い目に遭ってきた。沢山の武士の家が金貸しに騙されて潰れて行った時代にはおばあさんも随分とひどい仕打ちを受けた。その上多くの愛する者達と死に別れた。しかし、その苦しみも悲しみもおばあさんは決して人に漏らさない。怒りをあらわにした事は一度もない。世の悪行についておばあさんはお釈迦様と同じように考える。それは迷いであり無知であり、愚かなのだから、怒るよりも哀れんでやらなくてはいけないと。おばさんの心には憎しみの付入る隙もない」

 どうです。すごい おばあさんでしょう。まるで、「生きた教育勅語」と言えるでしょう。この作品が書かれた時代からして教育勅語の以前から生まれ育って生きて来たおばあさんなのです。そして、このようなおばあさんがそれこそ全国にいて、それほど珍しくなかったのですから、昔の日本の「民度」が今と 違って想像できない程高かったと言うことです。「民度」という言葉は国民の生活や文化の水準の程度を意味しますが、特にこの場合、民度が高いという意味は、このような、気高く、誇りある美しい生き方が出来る為に必要な躾と教育の水準が驚くほど高いことを意味します。国民に備わって、品格がすぐれていることです。

 このおばあさんは今の多くの宗教家や教育者などのようにしかめっ面をして拳を振り上げ、肩に力を入れ、道徳や倫理などを言葉巧みに他人に説きながら生きて来た人ではありません。贅沢な生活をして自分では何もせずに、評論家のようにもっともらしいい事を口数多く語る人でもありません。本当に楽しい気持ちで毎日毎日喜んで実践し、黙って生きて来た人なのです。世界のどんな聖人や、聖職者であってもできない事をしているのです。無理をして自分を犠牲にしているという気持ちが全くなく、とにかく明るく誇り高く、強く正しく、そして何よりも心根が美しい。だから すごいのです。

 小泉八雲はこの話の最後に「この人を作り上げた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして、次に来る新しい世の中ではどの道このような人は生きて行けないだろうから。」と述べて終っています。しかし、嘆いたりする時ではありません。諦めてはいけません。こんな人が一人でも多くいる社会がよりよい社会のはずです。ですから、みんなの知恵と工夫で少しずつ昔の民度にまで引き上げる事をしましょう。そして、このおばあさんを少しでも見習って美しい心で、生活するためにはやっぱりお父さんお母さん、おじいさんおばあさん、ご先祖様を大切にして感謝する気持ちをもって祭祀の道に励む事から
始まるのです。
平成22年8月15日記
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