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人生は祭祀

人は皆、生を享けてから、毎日食事をし、働き、家事に勤しみ生活をしている。そして、年を重ねるごとに、成人し、結婚し、子供を儲け、育て、やがては老いて死んで逝く。人の一生とは大体こういうものである。しかし、これは何も人に限ったものではなく、動物もほとんど同じである。ただ、人の一生が動物の一生と決定的に異なるのは、祭祀を行うという点においてではないだろうか。動物の一生は極めて唯物的であるのに対して、人の一生は本来祭祀と一体であり、神聖なものです。だから、日本人は、七五三や成人式、結婚式など人生の節目で神事を行うのではないだろうか。これまで、日本では祭祀が確実に継承されてきた。特に、それは結婚後の夫婦の重要な役目とされてきたのです。南出先生の文章から引用させていただいた。


「どのやうな縁で夫婦になるとしても、夫婦になるといふことは、一般には、子孫を残して一族を繁栄させ、文化伝統を継承させるためだとされます。しかし、それ以上に、夫婦になるといふことには、別の大きな使命があります。前にも触れましたが、夫婦とは、個人と個人の関係だけではなく、お互ひの血族が姻族として結ばれることです。夫婦になる前は、夫は夫の血族の祖先祭祀、妻は妻の血族の祖先祭祀をそれぞれしてゐたのですが、夫婦となれば、夫婦一体となつて協同し、双方の血族の祖先祭祀をすることになります。もちろん、それを別々にするのではなく、原則として夫が祭主となり、一つの統合した祭祀を日々実践することになります。夫婦になるといふことは、雄と雌が野合することとは全く異なり、それぞれの血族が姻族関係となる契りを結ぶ神事としての「祭祀」であり、祭祀の対象となる御先祖様が二倍に増えるといふ驚異的な現象なのです。その二倍に増えた御先祖様の祭祀を夫婦一体となつて実践することが夫婦の「濟美」であり、それを夫婦の間に出来た幼い子どもに従はせて「濟美」の習慣を身に付けさせ、祖先祭祀の実践を伝へて行く使命が夫婦にはあるのです。夫婦が共に祭祀を実践すれば、子どもはその親の背中を見て育ちます。子どもを作つて子孫を増やして一族を繁栄させることだけが夫婦の務めといふのであれば、それはサルにでもできます。人間とサルとの違ひは、「祭祀の実践」(濟美)ができるか否かです。ですから、祭祀を疎んじ、観念論に満足して他のことだけにかまけて生活してゐる人は、いかに立派なことを言ふ人でも、すばらしい研究をした学者であつても、また、大きな事業をして成功した人であつても、本質的にはサルと同じ霊格しかないのです。」(全文は こちらへ)


夫婦の在り方として、決して忘れてはならないことが祭祀なのです。結婚後、祭祀を怠るということは、極論ではありますが、唯物的な結婚であり、神聖さからかけ離れたものです。思うに、このように祭祀を中心に据える生き方は、何も結婚に限らず、すべてに当てはまるのではないでしょうか。食事でも、仕事でも…すべては感謝のこころとともに、神聖な気持ちで行わなければならないからです。そうでなければ、ロボットでもできることがたくさんあります。もちろん、常に、神聖な気持ちでいることは難しいものです。しかし、食事も仕事もすべては神様が与えて下さったものだという感謝のこころと謙虚な気持ちでおれば、そのありがたさから、神聖な気持ちが生まれるのではないでしょうか。

参考文献 南出 喜久治 著 「青少年のための連載講座【祭祀の道】編 第二十八回 夫婦と祭祀」
 
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