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「96条議連」に告ぐ

先日もお伝えした通り、「96条議連」なる改憲論者の議員連盟が発足し、改正条項の緩和を積極的に進めている。この愚行に同調する風潮が政治家のみならず、知識人においても散見される。しかし、國體護持塾は占領憲法の改正を断じて許さないという立場を崩さない。なぜなら、占領憲法は講和条約の限度では認められるが、憲法としては絶対に認められないからである。従って、当然、憲法として無効なのである。

ところが、「96条議連」の改憲論者は我が国における憲法の概念を完全に履き違えている。だからこそ、占領憲法なるものを後生大事に維持しようとする。彼らの憲法解釈は、権力分立や人権保障など特定の理想・価値を謳うものしか憲法として認めないというものである。言い換えれば、彼らは、フランス革命でアンシャン・レジームを打倒するイデオロギーとして機能した憲法概念をそのまま受け継いでいるのである。だから、彼らは、西欧思想が体現されている占領憲法しか価値がないとして、日本の国体を保守しようとせず、異国文化を保守するのである。この態度は真の意味における保守ではない。改憲論者には是非とも認識してもらいたい。自己の思考方法が革命的であり、共産主義者に類似している、と。これが改憲論者の本質的な姿である。では、我が国において憲法とは一体何なのか。その概念を知る一助として、以下に南出先生の文章を抜粋させていただいた。


「我が国は、国体の支配する国(くにからのしろしめすくに)であり、憲法(いつくしきのり)は、その国体という本質の作用を示すものとして書き置かれたものにすぎない。『論語』に云う「礼之用、和為貴」(礼の用は和を貴しと為す)や、前に述べたとおり、世阿弥の『至花道』に云う「能に体、用(ゆう)の事を知るべし。体は花、用は匂いの如し。」のように、物事の本質や本源を「体」とし、その作用や働きを「用(ゆう)」として区別すれば、まさに国体とは「体」であり、憲法は「用」である。国体とは、第一章で述べたとおり、時効と世襲、相続の法理によって祖先から受け継いだ自然法である「祖法」であり、これは、いにしえ(往にし辺)より在った法として「確認された法」なのである。それはまさに「不文法」であり、子孫後裔によって「創設された法」や「形成された法」としての「成文法」ではない。和漢折衷、音訓併用を駆使して大和言葉(やまとことのは)で撰述された『古事記』においても(中略)「ことば(詞)」で「こころ(心)」を捉えることの難しさを踏まえた上で、「臣安万侶に詔りして、稗田阿礼の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上」せしめたとするように、祖法(こころ)を成文(ことば)にすることは困難さが伴うということを自覚せねばならない。

 祖法を精密に成文化しえない法文を金科玉条の如く解釈することは、本末転倒で、却って祖法から遠ざかるのである。(中略)
 
本質(体、こころ)と属性(用、ことば)との関係を知れば、国体の精華から憲法の香気がたなびくことが理解できるはずである。それゆえ、国体から湧出した憲法というものは一つだけとは限らない。単に憲法と云う名が付された推古天皇十二年(604+660)の『憲法十七条』や『帝国憲法』だけではなく、前述したとおり、『古事記』、『日本書紀』、その中にある『天津神の御神勅(修理固成)』、『天照大神の三大御神勅(天壌無窮、宝鏡奉斎、斎庭稲穂の各御神勅)』、『神武天皇の御詔勅(八紘為宇)』、『聖徳太子の憲法十七条』、『推古天皇の御詔勅(祭祀神祇)』さらに、『万葉集』、『船中八策』、『五箇条ノ御誓文』、『神器及ヒ皇霊遷座ノ詔』、『勤倹ノ勅語』、『陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭)』、『教育ニ関スル勅語(教育勅語)』、『義勇兵ヲ停メ給フ勅諭』、『戊申詔書』、『施療済生ノ勅語』、『青少年学徒ニ下シ賜ハリタル勅語』なども憲法であり、いわゆるこれらが実質的意味の憲法である。「憲法」という名称が付いていなくても、実質的には「憲法」であるということである。

その逆もある。「憲法」という名称が付いていても、実質的には「憲法」でないものもある。「憲法」と表記されたものの中に、非独立時代のGHQ占領期に制定され施行されたとする『日本国憲法』(占領憲法)があるが、これは「憲法」には含まれない。(中略)ともあれ、占領憲法は、祖法を全く反映したものではなく、むしろ、祖法を否定したものであるから憲法に値しないのである。」


これが我が国の憲法概念である。西欧流のイデオロギーのための憲法とは大きく異なる。つまり、伝統に裏打ちされた「祖法」が反映されていなければ憲法として意味をなさないのである。そうすると、占領憲法を改正してまで維持しようとするのは、先祖への裏切り以外の何物でもない。「96条議連」のメンバー、あるいはその支持者には考えを改めてもらいたい。

引用典拠:南出喜久治著 『とこしへのみよ』(発売予定!!)
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