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兄弟とは

世間一般的に、兄弟は仲睦まじくあるのが理想だとされています。もちろん、喧嘩をするよりも、仲良く遊んでいるときの方が楽しいし、親も安心することでしょう。しかし、兄弟喧嘩は必ず起きるものです。そして、これは悪い側面だけではありません。

私事で恐縮ですが、私には一歳年下の弟がいます。二人兄弟です。今、思い返せば、よく喧嘩をしたなあと思います。いったん喧嘩が勃発すると、事態の収拾に手を焼いていた親の姿を思い出します。たいてい、つまらないことで喧嘩をしました。例えば、遊び道具の取り合いや、態度や言葉使いが気に入らないなどの理由でした。また、遊び半分の罵り合いがいつのまにか殴り合いに発展したことなどもありました。

今、思うに、一歳違いの弟とは、あらゆる面において知力体力に差がないため、常にライバルでありました。私は、子供の頃から兄としてのプライドを維持することに汲々とした日々を送っていたなあと思い返します。大変でしたが、おかげで、青年になってからも、様々な場面でライバルが現れても、競り合って負けたことはありません。これも、弟と鎬(しのぎ)を削ってきたお蔭なのかなあと痛感しています。兄弟について南出先生は興味深いことを言っています。以下に引用しました。


「幼い兄弟(姉妹)というものは、どんな些細なことでも喧嘩をするものです。兄弟喧嘩することは『悪』ではありません。兄弟喧嘩は、家族の秩序を形成するために不可欠なもので、まさに本能に適合するものですから『善』なる行為です。兄弟喧嘩するのは、心身を鍛え本能を強化するために、子どもが初めに出会う社会経験です。兄弟は、喧嘩することによって家族の秩序を自覚し、外部社会の対人関係と兄弟との類似性を学ぶのです。

哺乳類動物の場合は、兄弟は、よく乳の出る乳首を取り合い、餌を取り合います。他を威嚇して優劣を競ひます。それが、成長して獲物を捕って生活するために必要な訓練であり、これによって弱い者も強い者も共に学習して強くなり適者生存の大海を泳ぐことができるのです。親離れするまでの間は、弱い子が強い子に従い強い子が弱い子を守って兄弟の序列をつくって家族の秩序を安定させるために必要なものなのです。外部社会の荒波を疑似体験をさせてくれるのが兄弟です。

このようなことは、ノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが動物行動学や比較行動学の立場から科学的理論として確立しました。つまり、『種の内部のものどうしの攻撃明らかに、あらゆる生物の体系と生命を保つ営みの一部』であり、『本能は善』であることを科学的に証明したのです。理性論(合理主義)からすれば種内攻撃は絶対的に『悪』ですが、比較行動学からすると『種内攻撃は悪ではなく善である。』ということです。種内攻撃というのは、種内の秩序を形成するもので、体罰、いじめ、喧嘩などのことです。そして、種内の秩序を形成し、弱者は強者に従い、強者は弱者を外敵から保護するという種内秩序が生まれます。しかし、戦後は、徹底した合理主義教育のため、一切の危険から子どもを遠のけてしまい、そのような教育で育ったことから本能の劣化した大人ができ、同じように本能が劣化した子どもとの親子関係や兄弟関係の社会になってしまいました。そのため、本能が強化されていれば、体罰、いじめ、悪戯、喧嘩、冒険などの仕方は自然と身に付き、それによって本能をより強化できますが、本能が劣化した者同士ではそれがまともにできないのに、それを行うことから大きな社会問題になっているのです。これは『気違いに刃物』という格言で説明できます。気違いというのは、本能が劣化することにより理性が万能かつ絶対であると信じて疑はない人のことです。しかし、このような言葉すら言葉狩りによって禁止しようとするのも、合理主義教育の結果なのです。」(全文を読みたい方はこちらへ) 


弟がいたおかげで、私は、多少ともタフな環境で過ごしてきたとは思いますが、幸いにして、子供の頃の思い出は明るいものです。その理由は、やはり、弟と遊び、悪戯をし、喧嘩をしたことが良くも悪くも私の人生の糧になっているからにほかなりません。私は、兄弟とは力を与えてくれる存在なのではないかと考えます。

【出典】
南出喜久治 「青少年のための連載講座【祭祀の道】編 第二十七回 兄弟姉妹と祭祀」
 
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