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山口良忠判事と真正護憲論

日本は今、独立国だろうか?と言われるとそうでないと答えられる方が大半ではないでしょうか?
アメリカがくしゃみをすると日本は風邪を引くと言われてから年数もたちました。
どうすれば、日本は本当の意味で独立国になれるのか?そんな答えが出るような内容ですので、
数日に分けて、UPさせていただきます。

國體護持塾の昨年春に行いました、塾生みすまる(勉強会)でのお話です。

東京地裁の刑事部の裁判官で山口良忠判事の遺文、遺稿文です。

殉法判事山口良忠遺文 33年の生涯と餓死への行進

山口良忠判事というのは、昭和22年の10月11日に亡くなった判事、裁判官です。占領憲法の施行が昭和22年5月ですからね。その時期に、どうして亡くなったかという所に大きな問題があって、当時その食管法つまり食糧管理法という法律がある、この法律は、昭和17年の東条内閣の頃にできた、いわゆる戦時体制の食糧管理法です。

これがどうしてできたかというと、支那事変から大東亜戦争が起こった段階の戦時体制において、いわゆる食料を臣民に安定供給させるかということが大問題だったわけ、戦時体制では、やっぱり食料的な危機感をやっぱりいだきます。
その中で、農家が米なり食料を供出するかどうか、自主流通にしても自由市場に流すかという問題に懸念があった。そういうことを、全く放置してしまうと、いわゆる、売り惜しみ、あるいは不当な買占めが当然起こってくる、これは、江戸末期だって起こっている。
そうなると一体何が起こるかというと、貧困層が全部餓死してしまうそういう状況が起こってくる。


最低限度、下支えして、臣民の各層に、少なくとも最低限度の食料が供給されるような配慮が当然必要になってくる。
そのために食糧管理法を作って、そして、米を生産者から供出させて、それを都市なり、各所に供給して行く。本来ならば、自由主義経済下においては、自由にゆだねたらいいんだけども、今言ったように戦時体制というのはそういう訳には行かない。特に、人間はその生命維持本能があるから、どうしても生命維持をするために、あるいは家族を維持するために、特に生産者は、出し惜しみ、供出を渋るという傾向が当然ある。
そういうことから食糧管理法ができた。戦時下や戦時体制においては、そういう事は機能したんですが、日本が戦争に負けた、そして米軍、GHQが入ってきた。そういう状況の中で、一体どうなったかというと食糧管理法はそのままで、極度の食料不足、なおかつ、本来ならば供出すべきという法律もあえて供出しない。それを高値で買うところに売る、その食糧が流通したのが、闇物資というもんで、結局、皮肉なことに日本が戦争に負けてから逆に、闇物資が、余計横行する法律になってしまった。
ちょっと、例は違うけれども、アメリカで、禁酒法を作って、酒飲んだらいかんという法律を作って、それがあることによって、逆に闇の酒が流れて、その利権をめぐってマフィアが大きくなったということもあったよね、

何かを禁止する何かを統制するということになると必ず、闇という、つまり、正規のルートではないものが必ず流通する。そういうことは、必ず起こる訳ですよね。

食糧管理法はそのままで、米軍の闇物資も流れて、当時の臣民の生活というのはどういう状況かというと、闇米で命をつないでた。配給米、配給物資では、全く生活ができない。遅配、欠配、つまり、配給が無かったり、あるいは、配給が遅れたり。

闇米の摘発というのは盛んに行われた。そういう最中で、山口良忠という裁判官は将に、その食糧管理法違反の刑事事件を担当している。それもいわば専門部的に担当している裁判官だった訳、自分たち裁判官だって、実際のところ闇米、闇物資を得ないととてもやない。
昔、よく言われたのは、タケノコ生活と言って、一つずつ着ているものを脱いでいって生活する。つまり、家にあった自分の着物とかそんなものを農家に持って行って、そして、農家から米をもらってくる、物々交換ですよね。
そういうもので結構高度経済成長の時にいっぱい百姓の蔵から、都市生活している人のいろんな着物とか出てくる。蔵にね、それはどうしてそういう蓄財ができたかいうたら、闇でできた財産なんだよね。

それを別に今とやかく非難するつもりは無いけれど、ひどい時によっては、金とか反物が無かったら、その闇米を仕入れに来た人が若い女性であれば、その体も求めるという者もおってね、ほんとに不埒な時代が当時続いていた訳ですよ。
闇米が無ければ生活が全く維持出来ないようなそういう時代にあって、自分が食糧管理法で起訴された被告人に判決を下す。判事がですね、果たして闇米を口にしていいかと、大きな良心の呵責があって、今の日本国憲法、占領憲法だと、裁判官というのは、第76条3項かな、良心に従ってその憲法と法律に拘束されるという主旨のことが書いてある。
ところが帝国憲法第57条には、司法権はどういうものかというと天皇の名において判決、裁判する。
山口判事は天皇の名において判決を下す。その『天皇の名において』という使命を負った山口判事が自ら闇米で命を永らえて自分も食管法違反を犯していながら、起訴された被告人に有罪を言い渡すとは何事かという強い良心の呵責があった。
それによって、一切配給米だけで生活しようと自分たちの家族も配給米だけで生活しようと。
子供たち、男の子二人がいたんですけども、子供たちにはなるべく食べさせて自分たちは本当に、おも湯をすすってでも生き永らえようとした訳、そのあげく、栄養失調、最終的には肺浸潤ですけども、亡くなった訳です。

東京地裁で倒れて、そしてそのまま故郷の佐賀県に行って、そして、昭和22年の10月11日に命を落とされた。それが将に占領下で行われてる訳、いかにあの時、日本国内だけの配給米だけでは、とうてい命を永らえられないという環境に身を持って、死を持って示したこの山口良忠という裁判官なんですよ。
これをよく考える時に、その職務に忠実に生きられたということだけでは無くて、当時の日本の食糧事情、つまり食料自給率は、将に低下していて、あるものだけでやると生活できない、命が保てない。韓国なんかは、今、キリスト教が多いのよね、3割位キリスト教、日本は少ないんですよ。韓国は、アメリカからの闇物資、教会から闇の物資を流す訳ね、そして入信させていったという歴史がある。
日本も同じようにやった、だけど日本人のまあ気質なり物の考え方、宗教観とか信仰観がキリスト教では無かったからね。だからGHQなり、或いは、そういう風なものに迎合するものはいくらでも闇物資が貰えた訳ね。反対するものは、もちろん職も失うし、食料も失う。
GHQに、ごまをすらなければ、誰も生きていけない。この当時の政治家にしても官僚にしても裁判官にしても検察官にしても、ましてや検察官はね、自分が闇米を食べてながら、闇米の人間を摘発する訳でしょ、こういう矛盾を平気で抱えてながらこの世の中が存在した訳ですよ。
その間にできた憲法が占領憲法でしょ、ちょうど占領憲法ができたっていうことは、飢え死に寸前の人に、今、命永らえるために米、食料あげる。その代わり、奴隷になれと言って仕方なしにそれを承諾した。これが自由意思と言うんですか?

闇米をあげるから、帝国憲法を止めてしまって、占領憲法を認めろと、背に腹代えられずに占領憲法を認めた。そういう時代が、将に山口良忠判事が餓死したこの時代だったという、この占領憲法は果たしていろんな法の理屈とかいろんなことがあるかもしれない。これほど不条理、理不尽な法律というものが過去にあったのか。つまり、命と引き換えに配給米では食えないから、米をやるから、占領憲法を認めろ。仕方なしに、自分の家族子供を守るために、もうそれに応じましょうということが果たして自由意思なんですか?それは暴力でしょ、だから占領憲法はどんな言い訳をしてもこういうもので出来たこの占領憲法を有効だと考えること自体がそれは暴力を容認することでしょ。

我々は暴力を容認していいのか、また暴力で転覆せざるをえないんじゃないか、容認した憲法を認めていながら今の自衛隊が軍隊でないと言い張る、嘘を嘘の限りを尽くす、暴力を肯定し嘘を吐く、こんな社会にどうしてするの。
大人がそんな状態なのに子供に、校則を守れとか親の言うことを聞けと言えるんですか、教育なんか、そもそもこの一点で崩壊してるじゃないですか、まず、ここから打ち立てないと教育の再生できないし、日本が再生できないという事です。だからそういう事を考えた時にこの山口良忠さんというこの判事の死をそう重く受け止めるべきなんですよ。そういう意味からすると、遵法安住っていうことが書いてあるんだけども、それを飛び越したというか、もっと大きな意味を山口判事の死は教えてる。
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