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日本の自立再生論 国体論

昨年7月に埼玉にて行われました、國體護持塾みすまる(勉強会) にて、南出喜久治先生がされたお話を部分的に文章化したものを掲載して参ります。本日は国体について

第五章 国体論について

最後、国体と主権。ここは今回のテーマじゃないので、あまり詳しくは言いませんけれども。本能の優先順位がある。再生不能のものより、再生可能のものとの序列がある。そして自己保存本能以外でも、例えば家族維持とか家族の秩序を守ろうとする本能の方が上になる。さらに国家を守ろうとする本能がある。そういうふうにして段階的な本能の状態がある。それを同じように生きついでいくと、結局、雛形になっている頂上構造になっているというのが日本の国体、国体という言葉が漢字語なんで、大和言葉(やまとことのは)で言うと、国からという言い方をします。
その国の性格、つまり国の本能、のことを国体と言う訳ね。国の本能構造を守っていこうと今までずっとご先祖が培ってきた文化、伝統、そういう文化総体、その伝統総体がすべてその本能構造に組み込まれて、一体となしている。頂上構造的に一体となしている。それはわれわれがずっと守っていかなければならないことだし、これは絶対に否定できないという部分を自覚してもらわなければいかん。ところが現在、この日本国憲法(占領憲法)というのは、どういう構造をとっているかというと、国民主権という言い方をしている。
国民主権。主権というのはどういうことかというと、僕はこう解釈してて「しゅ」と読んだ場合ね、これは神のことを言うねん。主たる神とか主たるイエスはという言い方をするでしょ。神というのは、絶対的な最高のもので、主たる神の持っている権限を主権というんです。だから主権者というのは、神の地位に着くんです。昔、王権神授説といって、神から権限を与えられて、その国王が持つ権利のことを国王主権と言った訳や。つまり、神の権利を譲り受けたことが、国王主権なんですよ。その国王の持っている主権を国民が譲り受けた、あるいは、奪い取ったのが国民主権なんである。つまり国民が神の地位に上ることを国民主権という訳ですよ。簡単にいえば、つまり主権者というのは、主権というのは、一切誤ったことをしない。すべて正しいということ。

だから人間がそこまで傲慢になれるのかということや。国王であろうが国民であろうが、この娑婆に生きている人間が、そこまでの権限をオールマイティの権限を持てるのかということや。それはものすごく不遜なことやね、ご先祖様に対しても今までの文化伝統を全否定をすることもできる訳でしょ。今の占領憲法に大和言葉を国語とするなんて書いていないわね。

生活言語や公用語を英語でしようとできる訳でしょ。現に敗戦直後にそういう話があったんです。明治維新のときもそういう話があった。敗戦時、英語を国語にしようという話もあった。
今の文部科学省でも第二公用語として英語を取り入れようということまで出てきている。ということは、これ憲法違反にならない訳よ。この占領憲法の立場からいうたら、言葉まで変えてしまおうというのはね、はっきりいって、祖先との断絶じゃないですか。それを平気でするのもね。今、娑婆に生きている人間がすべての権利を持っているのが国民主権でしょ。だから今ものすごく借金をして、過剰消費をあおって、ほんまはわれわれは質素倹約するというのが美徳があったのに、それを経済と称して、過剰消費、過剰生産、そして、大量廃棄している。

まったくわれわれの本来の伝統的な考え方から全然違ったことを平気で言ってやっている。それのために経済が活性化していないから、どんどんと、赤字国債で子孫に借金を押し付けても、今生きている人間の権利なんだから、主権者や、今生きている人間がすべてなんだから、つまり祖先は死人だから、死人には口なし、子孫も口なし、選挙権を持ってからものを言えと。こういうんだから。今、娑婆で生きている人間だけで、すべて決められる。祖先が残してくれた財産を全部使い果たして、山盛り借金して、その借金を子孫に押しつける。そういう人でなしのことをすることが主権者なんやから、それを防ぐことができないじゃないですか。
そしたら、この主権をどっか歯止めをしようとしたら、国体というものは、最高意思であって、主権というものに支配されるのではなくて、国体という『この国』からの考え方、決まりごとそれを絶対はずれてはならない。根本においてはね。はずれてはならないんだという考え方にもどらないかん。
主権主義から国体主義にもどらないとこの国は再生できない。そういう意味でこの四つの話、本能、祭祀、家族、国体をね、さしてもらったんです。それで僕が今話していることは、すべてある意味ではこの理性というか合理主義、頭の観念で考えたものを今お話していますよね。祭祀の話を本来ならば、そういうもんではないはずなんだけど、今もそういう論理の世界でお話していますよね。
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