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日本の自立再生論 祭祀

昨年7月に埼玉にて行われました、國體護持塾みすまる(勉強会) にて、南出喜久治先生がされたお話を部分的に文章化したものを掲載して参ります。本日は祭祀について



第四章 祭祀について

祭祀って何というと、まさに、お祭りごと、つまり感謝をするということ、お願いするのでなく感謝する。それぞれの人、いろいろなそれぞれ生い立ちや家族の事情があって、いろいろな宗教を信じている人もいれば、信じていない人もいる。
だけど、絶対に誰一人例外のないことは、そのお父さんお母さんがいるということ、それぞれの人に、お父さん、お母さんが現在の法律制度の中で、婚姻しているか、していないかとは別に、生物学的な意味において、お父さんお母さんがいることは間違いない事実や。それが存命しているかいなかとは関係なしに。絶対にお父さんお母さんがいた。これは、哺乳類の宿命であって、そのお父さんお母さんにもお父さんお母さんがいる。また、そのお父さんお母さんにもそれぞれお父さんお母さんがいる。
ずっとつながっていっている。自分を基点にすれば、お父さんお母さんがいて、そのまたお父さんお母さんからまたそのお父さんお母さんが枝分かれしていて、ずっとなっている。これ26代遡るとね、日本の人口の一億三千万人を超える訳。ご先祖様の総柱(そうはしら)、要するに、総数ね、一億三千万人を超えるのですよ。でも、これをもっともっといったら、すごいご先祖様がいる訳。この事実は人間が哺乳類である限り、絶対に否定できないし、一つの例外もない。
宗教というのは、神が我をつくったというのだけれど、理性的に神という観念を作って、神とか仏を作って、作られたとしたのだけれど、だけど、この祖先がいるということは、極めて科学的な話で、誰も否定できないことなの。

今、我々がここにおるということが、それだけの26代遡って一億三千万人を超えるご先祖様の命を一点に絞り込んで自分の存在がある。そうしたら、この命をずっと受け継いできたというもののありがたみ、重み、これにまず感謝することなのよね。この感謝がなかったら、次の自分らの子孫に受けついでいくという自覚が生まれないの。
その大切さをつまりいわば祭祀というのは、感謝する道でもある訳ね。そうするとそこから、一体どういう徳目が生まれてくるかというと、本能から生まれてくることなんだけれど、祖先とご本尊と神、どっちを大事にするかいうたらね、これははっきり決まっている訳。
神が一番大事だとする、だけど祭祀の考え方からすると、ものすごいたくさんのご先祖さまの総体が、神である訳なのね。三人寄れば文殊の知恵というんだけど、26代遡ると1億3千万人の知恵と命を受け継いだのは自分なのでしょ。

そのご先祖様の方がね。ありがたいじゃないの。それを崇めた方が、ご先祖様の総体を持って神だというように認識し、例えば、自分が地獄に落ちてでも祖先を守りたいと思う。それが日本人なんだよね。それはね、どこの宗教にもない、家族ぐるみで助ける。家族を子供を全部助けたいと、そういって、自決ちゅうか玉砕していった散華したのが、大東亜戦争の時の特攻というものでしょ。それが脈々とわれわれの血に流れているはずや。


日本の祭祀の基本的な気風で、特攻が生まれるというは祭祀なのよ。自分の命を捨ててでも守ろうとするものをはっきりと自覚しているのね。自殺と自決とは違いますよ。自決というのは、再生を願う純粋な意味で、死におもむくことを自決というのであって、うらみを残して死ぬのが自殺なんだよね。
よく子供がイジメにあって、これみよがしに遺書を残して死んだ。恨みを残して死んだ。マスコミはどう言っているかと。「ああかわいそうだ、かわいそうだ」言う、どこの宗教でも自殺したらみんな地獄に落ちるんだよ。
まるでゲームでリセットするみたいにね。「死んだらもう一回やり直せる」いうているような、そんな感覚で安易に子供の自殺を誘発する訳や。もし、自殺を止めようとしたらね。「自殺したらだめです。自殺したら地獄に落ちますよ」と一言、言ってごらんよ、マスコミが、止められるって。
キリスト教だって、仏教だって、自殺したら、ええとこへ行けへんのよ。
少なくとも地獄に行ったりするのよ。どんな死に方をしても、みんな天国にいる。キリスト教だってそうでしょ。天国に行くかどうか、神のみぞ知る話で、何ぼ善行を積んだ人でも、悪行三昧をした人間でも、助かる人は助かるし、助からない人は助からない。これが宗教なんだよね。
親であろうが子供であろうが、関係無い。自分の信心で助かるか助からないかという問題だから、家族ぐるみで助かる、家族を最優先で助けたいという思いは絶対に宗教によっては成立たない。

劇薬的なものの言い方をすると、宗教の全否定をしないと、この日本、世界は救われない。宗教戦争は、やたらあった。これはバイブルに書いてあるのが、異教徒を殺せということが書いてある。だから、殺戮や戦争を助長させるのが宗教だから。戦争には、宗教戦争という思想戦争もあれば、あるいはエネルギー戦争ももちろんあるんだけど、基本的に今まであった大きな戦争は全部思想戦争です。
長く続いた例えば100年戦争にしたって、十字軍戦争にしたって、この前、ブッシュが十字軍だと言ったイラクの戦争だって、全部、宗教戦争じゃないですか、宗教は人を殺す。
だけど、祭祀は人を殺さないですよ。例えば、非常に敵対している人と出会ったとしても、今言ったようにご先祖様をずっと遡っていったら、ご先祖様が共通すると思う一つの想像力が働けば、殺し合いをしないじゃないですか。やっぱり、感謝していくという気持ちを持っていないとだめなので、そういう意味で宗教というものをどうしてももう一度見直す必要がある。

みなさんはそれぞれそれなりの宗教をお持ちだと思う。家、自分自身で自覚的に宗教を信じたという人も確かにいると思う。だけどよくそれを考えてほしい。そして、その各宗教にもよるだろうけど、なるほどと思われるならば、どっか自分の家の隅に、まあ仏壇があるのか、神棚があるのか、どこか、家の一部屋でなくて、部屋の隅でもいいから、どっか聖なる場所を設ける必要がある。
例えばこの部屋ならば聖なる場所はどこかと言ったら、日の丸がおいてあるここの部分が聖なる場所なんだよ。言葉が悪いけれどね、立ちしょんべんをしい、どこでもいいからいうたって、絶対ここではしないわな、なんでなら、ここは聖なる場所だからや。感覚的に分かるやないですか。それと同じように、どっか自分の住んでいる部屋、そういうところに、例えばお父さんお母さんのお写真でもいい、あるいは、僕らやったらね、写真もあるし、両陛下のご真影(お写真)があったりする、
そういう場所というものを設けることによってね、自分の信じる宗教とは別にやっぱり生きてはるということを思わなあかんねん、生きておられるということを思わなあかん。
魂というものは、そこにあるんだということを信じる必要がある。死んだら肉体は滅びるけれども、そこに魂は残っているのだと、そういう思いがあればね、生きてはるときと同じようにしなさいよ。
まあ、ご両親いらっしゃる人といらっしゃらない人がいるかもしれないけれども、生きておられたら、同居してたら、それなりにね、「行ってきます」帰ってきたら、「ただいま、もどりました」っていうて挨拶するじゃないですか。それと同じように聖なる場所に少なくとも礼を尽くすというかそれをすることがことが祭祀なんです。


祭祀というのはなんかね。取り立てておうぎょうな行事をしてそれで祭祀というのではなくて、毎日すること、僕らの場合はもうこれ浄土真宗におったもんやから、浄土真宗のときの仏壇がある。浄土真宗は基本的には、祖先の供養をしないからね。祖先供養したり法事などするのは、あれは宗教ビジネス視しているんで、教義からいったら、してはならない。
どこのお寺にいったってね、仏像あるやないですか、昔からそう思ってたんやけれど、ああいうものね、仏像というものに、親近感をまったく抱かない。自分の親の顔でもなければ、日本人の顔つきでもないし、パンチパーマあててね、何か金ぴかで、変な服を着てあぐらかいてすわっている、そんなもんにありがたいという気持ち起こりますか。
自分のお父さんお母さんの正装した写真があったらね、それはありがたいなと思うよ。あるいはその陛下のご真影を見ればありがたいなという気持ちはすっと出て来るんだけれど、あんなどっかで鋳型で組んでばっとやって、作ったようなもんは、そんなありがたいなと思わないのよ。

寺に行っても何も思わへん、夏は涼しいなという程度はあるけれども、ぼくはそういう環境でずっとおって、本願寺とずっと大喧嘩してきた人間なんでね、そりゃあそうでしょ。僕は別にクリスチャンでないから、教会に行って、十字架にかかったものを何で拝むのよと。もっと聖なる、正常な、清らかなものを拝むのならええけど、なんか呪いの入ったような。ユダヤ人なんだけれども、どこに行っても白人の顔でしょ、全部すり替わっているしね。イエスではないんだから。あれは、キリスト教は、イエスの教えではなくて、ペテロとパウロが作ったいわば宗教なんで、仏教だってそう、今の仏教は原始仏教とはまったく違いますからね。
今の宗教の構造というのが、おうおうにしてそうであるということで別にそれは、全否定する必要はないかもしれない。それはいろんな各宗教で本尊とか教義という問題があるけれども、それ以外のところで人の道を説いたり、道徳的なことを説いたり、それで納得するものがあれば、それにこしたことはないんです。
ただ、究極はつまりそれぞれのご先祖を大事にするという教えではなくて、そのご先祖様を全部否定して、この神だけ、この仏だけを崇めというものっていうのは、必ず対立を生むんですよね。それに従わないものを排斥する。それは当然のことじゃないですか。
だから、非常に攻撃的な宗教団体というのは、みんな他を否定して、対立を生むんですよ。
もっと自分のご先祖というものに、軸足を移しなさいということを僕は言いたいわけ。そういう意味で祭祀と宗教の一つの対立軸がキーワードとして、祭祀の言葉がある。
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