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日本の自立再生論、真正護憲論の南出喜久治先生の生立ち

本日より約1週間、昨年7月に埼玉にて行われました、國體護持塾みすまる(勉強会) にて、南出喜久治先生がされたお話を部分的に文章化したものを掲載して参ります。


第一章 

まず、私の自己紹介から、生まれですが、京都でいわゆる公衆浴場業、つまり風呂屋さんのせがれでして。
父親は支那に渡って、支那事変からずっと特務機関の将校で北支那におりました。
復員して帰ってきて、逓信局、つまり、郵便局の官吏をやっていたのですが、特務機関の将校だったということで、公職追放になりました。
それで公職から全部はずれて、家業を継いで風呂屋をやっていたんです。私にはいろいろと言わなかったのですが、唯一今、唱和させていただいた教育勅語、これをとりあえず覚えさせられました。

それ以外の教育は父親からあまり受けていません。
旧軍時代のいろいろな話も聞きましたけれども、何をせえと一言も言わずにこの教育勅語だけをしっかりと身につけなさいと。亡くなったときに、遺言を書いてあるからということで、遺言を見たら、教育勅語を復活させよと、その一言が書いてあった。それで私の人生が決まりました。
それから、まあ、憲法の話、教育勅語の話、いろいろ国からというか国の成り立ちことから含めて自分なりに自問自答していました。

ただ、家庭環境からいうと、両親は非常に病弱でして、小学校3年のときに母親が脳溢血で倒れまして、それから寝たきりの状態です。
介護を要する状態でした。私も全部炊事洗濯それから買い物から全部して、小学校から中学、中学にあがると、今度は、父親が肝硬変で倒れました。風呂屋というのは肉体労働ですから、両親とも、もう仕事ができません。ですから小学校ぐらいからずっと家業をやっていました。そして中学、高校もほとんど、慢性の寝不足状態で登校してました。
家業を継ぐ意味もありまして、もちろん大学は行かなかったというか、行けなかったか。
そして、学問で身を立てようと思ったのが数学だったのですが、自分で言うのも何ですが、数学的な才能が非常にあったと思います。ただ、私の高校時代の担任の先生がそういう道を確かに作ってくれた先生がいたのです。
京都大学の数学科の研究室でもとりあえずもぐりこましてあげたいということで、私の才能をそれなりにかっていただいたのですが、それは私の三沢先生という先生が止めました。

私の学校は実は京都市立堀川高等学校といいまして、あの横田めぐみさんのお母さんのさきえさんが出た学校でもあるのですけれどもね。その堀川高校というのは、私の世代は、まさに、いわゆる団塊の世代のごちゃごちゃした時代でしたので、実は同級生には私の喧嘩相手の吉田 金太郎というのがいまして、ちょうどよど号事件で北朝鮮に行った一人でした。そして、一番初めに遺骨で帰ってきたのが吉田 金太郎でした。
そういう非常にはげしい状況の中で高校時代を過ごして、結局私もそれなりに、当時の文化大革命に非常に対応することになって、学校の先生もほとんど左翼で、この憲法の前文を暗唱できたら、単位をやると言われたときに、一切拒否して「暗唱できたか」言うたら「暗唱できました」言うて、何を言ったかいうたら、教育勅語をぶちあげた。
それで、単位をやらんということになって、そういう反抗もあって、高校で終わろうと。

数学の道に行きたいなと思っていたのだけれど、その三沢先生いう人が「南出君、それはやめた方がいいと君は才能があることとそれで花開くこととは、また、別だと、君は政治のことですぐにいろいろ言うから、途中で研究を投げ出すような状態に、必ずなる。だから初めからやるな」と言われて、政治の道を進んだのです。

政治の道を進む。その当時、何が一番いいのかといろいろ政党の考え方とか自分なりに調べました。そのときに、国防まずは防衛の問題、それと反共という二つの点でこの党しかないと思ったのが、民社党、民主社会党でした。
初代委員長は西尾 末広という人、これは右派社会党で民社党を作った人です。二代目が西村 栄一先生、これが今の西村 眞悟さんのお父さんです。そういう方々からいろいろ勉強させてもらって、たどり着いたところが、この占領憲法が無効だという結論に達したわけです。私を非常にかわいがっていただいていたのが、岡澤 完治先生といって、これも民社党の代議士で弁護士でした。たまたまこの岡澤 完治先生の娘さんが西村 眞悟の奥さんになった因縁があるのですけれども。
岡澤先生から、非常に薫陶を受けて、それで、「君なら司法試験、通るよ」と言われて、おだてられまして、大学を出ていないから、司法一次試験から受けることになって、こんな難しい試験とは思っていなかった。
はじめ政治家の職業として、岡澤先生のように、弁護士をやろうと思ったのですが、なかなか自分の家業をしながら、独学で、司法試験というのは、今もし、やれと言われたら、できないですけれど。あの当時は、さりげなくそれをやろうとしたのです。
幸運にも、自分の合格できる一つの法則がありまして、それに従って合格しました。最終的にはそうとう上、一桁台で通ったのですけれど、それを自慢にしているわけではないのですが、独学で通った。
もし、僕が大学で勉強しておったら、この占領憲法が無効だというような方向に絶対行かなかったと思います。


色々な中で、たまたまやはり三沢先生という人が、僕の性格をよく見抜いてくださって、数学者の道に行かさなかったことが非常に僕としては今感謝しています。
父親の薫陶を、教育勅語ということで、自分の寄って立つところがここだなということで今日あるというように思います。今日はですね、そういう意味では、祭祀のことということでお話をさせていただくことになるのですけれども、祭祀ということに関して、ちょっと今からお話するのに、今から言う四つのキーワード、ちょっとそれを覚えておいてもらいたいと思います。



一番初めの言葉としては、「本能」という。二番目は「家族」。それで、次に、今日のメインテーマであるところの「祭祀」。それで最後に「国柄」というか「国体」というか。これは、正字で書いていますけれど「國體」。この四つ、「本能」「家族」「祭祀」「國體」。
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