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千座の置き戸 -第5回  承詔必謹と東京条約 4/4

HPに6月15日に掲載しました 千座の置き戸 
原文は こちら

連載 千座の置き戸(ちくらのおきど)
           第五回 承詔必謹と東京条約
                    南出喜久治(平成26年6月15日記す)


とつくにの ちぎりをのりと みまがひて まつりごつやみ はらひしたまへ
(外国の契り(条約)を法(憲法)と見紛ひて政治する闇祓ひし給へ)

四【帝国憲法の現存証明】

 占領憲法が憲法として無効だということは、帝国憲法は憲法として現存しているということなのです。これは次のとおり証明することができます。

 大東亜戦争は、帝国憲法第13条の宣戦大権に基づいて開戦となり、同第11条の統帥権によって遂行されましたが、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印によって停戦し、GHQの軍事占領下で独立を奪われました。その非独立状態と戦争状態は、昭和27年4月28日に桑港条約が発効するまで続きます。
 桑港条約第1条には、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、第23条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。」と規定し、桑港条約の効力発生までは、我が国には「完全な主権」がなく、戦争状態にあったことを宣言しているのです。このことは、占領憲法の前文に「日本国民は、・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」との部分が、占領憲法の制定時も施行時も不可能であったことを意味し、その宣言内容が全てが虚偽であることを桑港条約によって証明されたことになります。

 しかし、殆どの政治家や学者らは、この独立の回復と戦争状態の終了について、占領憲法第73条第3号による内閣の条約締結権によって桑港条約を締結し、戦争状態を終了させて独立したものであると誤魔化してきました。そもそも、内閣の権限は、占領憲法の規定する国家の能力を越えて行使できないことは自明のことです。占領憲法では国家に交戦権がないので、交戦権の行使となる講和をすることができません。もし、このとき、占領憲法が憲法として有効で、帝国憲法が失効していたとしたら、占領憲法では戦争状態を終了させることができず永久に独立できないことになります。占領憲法が憲法として有効であるとする見解は、桑港条約は無効であるとしなければ論理矛盾となるのです。

 つまり、戦争状態を終了させて講和を実現させる権限は交戦権(戦争権限)であり、その法的根拠は、帝国憲法第13条の講和大権以外にはありえません。
 占領憲法第9条第2項後段には、「国の交戦権は、これを認めない。」とありますから、占領憲法では戦争を終結して講和条約を締結することはできないのです。

 この交戦権という用語は、昭和21年2月3日、マッカーサーがGHQ民政局(GS)に示した「マッカーサー三原則」(マッカーサー・ノート)に初めて登場した「政治用語」でした。それは、「No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.」(いかなる日本陸海空軍も決して保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍には、いかなる交戦者の権利(交戦権)も決して与えられない。)というものであり、交戦権というのは、「rights of belligerency」の訳語です。これが同月13日に示された「日本國憲法草案」(GHQ草案、マッカーサー憲法草案)に引き継がれ、同年3月6日に政府案として発表された「帝国憲法改正草案要綱」(3月6日案)、「内閣憲法改正草案」、そして、占領憲法第9条2項後段へと受け継がれたのです。

 このように、交戦権というのは政治用語から出発しましたが、今では法律用語となって様々な解釈がなされています。しかし、一言で言えば、この交戦権というのは、アメリカ合衆国憲法における「戦争権限」(war powers)のことです。これは、戦争を開始(宣戦)して戦闘行為を遂行又は停止(統帥)し、最終的には講和条約によって戦争を終結(講和)する権限のことです。火気を用いる外交権のことです。アメリカでは、この戦争権限は大統領と連邦議会とが分有している(第1条第8節、第2条第2節)。我が国にも帝国憲法に戦争権限の定めがあり、宣戦大権(第13条)、統帥大権(第11条)、講和大権(第13条)によることになります。当初は政治用語として出発した交戦権の概念は、アメリカから与へられた概念であることから、アメリカでの戦争権限(war powers)と同じものでなければならないことは当然のことです。

 ですから、交戦権(戦争権限)のない占領憲法では桑港条約を締結することができず、この時においても帝国憲法が現存していたために戦争状態を終了させて講和独立することができたのです。

 さらに、桑港条約を締結するについて、一部講和か全面講和かが熾烈(せんれつ)に争われたことがありました。政治的には、一部講和であっても独立を最優先させたことは正しかったのですが、これを憲法学的にみれば、占領憲法が憲法として有効である立場からすると、桑港条約は一部講和であるので、桑港条約は明らかに占領憲法違反となります。なぜならば、一部の戦争当事国と講和するということは、残りの戦争当事国とは講和しないという国家行為であって、その限度で戦争状態を継続するという不作為の国家行為(戦争継続行為)がなされることですから、「交戦権の行使」に該当し占領憲法に違反することになるからです。戦争を終結させることは、その外交交渉も含めて交戦権の行使です。戦争の終結はあくまでも交渉の結果であって、その外交交渉の過程は戦争状態の継続です。外交交渉が決裂すれば、戦争状態が継続したままになります。それゆゑ、桑港条約によって一部講和が実現したという結果論を以て、桑港条約の締結は「交戦権の行使」に該当しないというのは詭弁以外の何ものでもありません。仮に、このような詭弁(きべん)に立つたとしても、一部講和の桑港条約を締結することは、これによって講和しない交戦国(ソ連など)と戦争状態を継続させる行為となって明らかに違憲であり、我が国は、「憲法に違反して独立した」といふ忌まわしい国辱の歴史を刻んだということになってしまいます。有効論者はそこまで言い切る覚悟があるのでしょうか。

 次に、その他の戦争当事国であった中華民国(台湾)とソ連についても考察すると、まず、我が国は、中華民国政府との間で、我が国が桑港条約の発効により「戦争状態」を終了させ独立を回復させた7時間30分前に日華平和条約を調印しています。これも、厳密には独立回復前になされた講和条約です。そして、この日華平和条約の第1条にも「日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する。」とあり、同年8月5日に発効して中華民国との戦争状態は終了しました。
 また、最後の戦争当事国であつたソ連との間でも、昭和31年に日ソ共同宣言を調印し、その第1条にも「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。」とあり、同年12月12日の発効によりソ連との戦争状態は終了しました。

 ところがです。日華平和条約は、昭和47年9月29日、田中角栄内閣による中共(中華人民共和国)との日中復交によって破棄されました。その破棄のための交渉や破棄の手続は一切なく、大平正芳外相の「日華平和条約はもはや存在しません」との声明だけで破棄したのです。日華間の戦争状態を終了させた第1条のみを除外して破棄することなく、全面的に破棄したのですから、理論上は日華間の戦争状態は復活することになります。戦争状態の復活は、新たな宣戦通告であるから宣戦大権の行使によらなければならず、これは帝国憲法では可能ですが、占領憲法では到底不可能です。それどころか戦争状態の復活は、交戦権の行使ですから、占領憲法が憲法であれば、第9条に違反することになります。

 なお、日華平和条約の破棄の前提となった同日の日本と中華人民共和国(中共)との「日中共同声明」においても、その前文で「戦争状態の終結」を謳っています。中共は、ポツダム宣言受諾後である昭和24年の建国ですから、大東亜戦争の戦争当事国ではないとしても、支那事変で戦闘状態となっていた八路軍(中国共産党軍)が建国中枢となった国家なので、それとの戦争状態(戦闘状態)の終結も必要でした。そして、この戦闘状態(不正常な状態)の終結を為すことも、講和大権の発動ですから、交戦権のない占領憲法では不可能であり、これも帝国憲法に基づくことになります。

 つまり、戦争状態を終了させる講和条約を締結する行為とその講和条約を破棄して戦争状態を復活させる行為は、いずれも帝国憲法第13条(講和大権、宣戦大権)に基づくものであるから、帝国憲法の実効性は、日華平和条約の破棄と日中共同声明がなされた昭和47年の時点でもその存在が客観的に証明されています。
 帝国憲法は、昭和47年の時点までの現存が証明されたのですから、もし、帝国憲法が現存していないと主張する人は、これ以後に帝国憲法が失効し無効となったことを証明しなければなりません。これが立証責任の分配理論であり、法の科学なのです。誰もこれを証明した人は居ませんので、帝国憲法はいまもなお 現存しているのです。
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